ナポリから電車で郊外へ。地下鉄2号線(Metropolitana di Napoli Linea 2)で40分ほど行くと、終点ポッツオーリ(Pozzuoli)駅の手前のトンネルの中で、硫黄のにおいがしてきました。
ここはカンピ・フレグレイ(campi flegrei)=フレグレイ平野と呼ばれる地帯に位置します。「カンピ・フレグレイ」の意味は「燃える平原」で、じつは巨大なカルデラです。
およそ4万年前の噴火でできた噴出孔が、今も噴煙をあげ続けています。そのときの噴火ではネアンデルタール人が絶滅した?という学説もあるそうで、「地獄への入り口」とも言われる、じつに恐るべき火山なのです!
(『ナショナル・ジオグラフィック』によると、カンピ・フレグレイができたのは数十万年前とも考えられているそうです。)
電車内の硫黄臭は噴出孔から流れてきたのか、あるいはそこに繋がる地中のにおいなのか。まだその噴煙を見る前から、この熱い大地の力を実感することになりましたが、ナポリ近郊には、ポンペイを噴火でのみこんだヴェスヴィオ火山もあります。かの文豪ゲーテもヴェスヴィオに登って、溶岩の噴出を見たことを『イタリア紀行』に興奮気味に記していますが、もっともなことですよね。
ここポッツオーリの町は、紀元前8世紀頃、ギリシアからイスキア島を経て、最初にフレグレイ平野に上陸した人々がつくりました。
当時はすべて、巫女の神託で決められていた時代。太陽神アポローンの神殿と、その巫女シビラの住んだ洞窟が、この町のクーマ遺跡(Scavi di Cuma)として残っています。
その場所は、神聖なオーク(樫、楢などのドングリのなる木)の森に覆われていました。森はいつから変わらずにあるのでしょうか。
シビラは、暗く長い洞窟の奥にひっそりと暮らしていました。この洞窟にも硫黄のにおいは入ってきていたのかしら。
巫女として神の声を聴く特殊な力をもっていたとしても、寂しい洞窟の生活の日々、彼女はどんなことを感じたり考えたりしていたのだろう、どんな女性だったのだろう、などと、オークの木々の葉のさやぎを聴くともなく聴くうち、遠い時代にトリップしそう。
オークは、古代ヨーロッパの広い地域でもっとも神聖とされた樹木のひとつです。
古代ギリシアでは、オークの葉の風にざわめく音が、神託になったともいいます。古代ケルトで預言者ドルイドの杖はオークでつくられました。さまざまな地域や民族で、神託や預言、神の儀式に深く関わってきた樹です。
そしてなにより、ドングリという、人間の最初の食べ物を与えた樹なのです。
ところでギリシア神話には、オークの話はいくつか登場します。
最高神ゼウスとその妻ヘーラーは、ほんとうによく夫婦喧嘩をします。というのは、だいたいのところゼウスが浮気ばかりしていて、ヘーラーが嫉妬しているからなのですが。
あるときゼウスは妻の機嫌を取るために、ある企てをたてました。まずゼウスは、「アソポス河の神の、娘のニンフと結婚する」とヘーラーに思わせました。
そこで怒り狂ったヘーラーは牛車に乗った花嫁を襲い、そのヴェールをはぎ取ります。すると、そこに現れたのは、彫刻された立派なオークの切株でした。ヘーラーは機嫌を直し、夫を許したということです。
他には、神々に捧げられているオークを切ってしまったために、ひどい運命に堕ちた男の話などもあります。それほど大切な樹だということでもあるでしょう。
またオークの神話には、ボダイジュとともに語られる話もあります。善良で心から愛し合う、ピレモンとバウキスという夫婦の話です。
どこへ行っても宿を断られていた二人の旅人が、最後にこの夫婦の住む貧しい家へやってきました。夫婦は貧しくともできる限りの食事を用意し、旅人たちをもてなします。すると旅人たちは、本当の姿を現しました。
じつはこの旅人たちとは、最高神ゼウスと、ゼウスの使いでもある神ヘルメースでした。二人に感心した神々は、彼らの粗末な家を神殿に変え、彼らの望みを聴こうといいます。
夫婦は自分たちが、二人同時に天へ旅立てるようにと願いました。
そうしてピレモンとバウキスは命あるあいだ、この神殿を守りました。
やがて年老いたある日、神殿の入り口で仲睦まじく語りあううちに、二人は一緒にだんだんと樹になっていったのです。
ピレモンはオークの樹に、バウキスはボダイジュに。
こうして二人の願いは叶えられました。
ここでいうボダイジュというのは、インドのボダイジュとは種類の違う、西洋ボダイジュ、シナノキです。あるいはリンデン、という名前をいえばシューベルトの音楽を思いだして、あ!と思う方もあるでしょう。
シナノキは、古くからギリシアでも医療に使われていた樹でした。今でもその花のハーブティーは、子どもからお年寄りまで安心して飲めるため広く親しまれていますし、葉はハートの形をして、愛の樹ともいわれます。バウキスの深い愛が宿っているのかもしれませんね。
さてこのあたりには、古代ギリシアの遺跡ばかりではなく、古代ローマの遺跡もあります。
お風呂好きだった古代ローマの人たちは、火山のおかげで温泉の湧く、風光美しいこの地を愛していたようです。浴場は社交の場でもあり、別荘地として栄えたのですね。
港のすぐ近くには、1世紀後半~2世紀前半頃につくられたと考えられている、ローマ時代の市場跡があります。発掘されたときに、エジプトのセラピス像が発見されたので、当初は神殿と考えられました。
往時の賑わいはいずこに。今はひっそりと、公園から眺められる遺跡としての姿を見せているばかり。
そしてポッツオーリの町に残る古代ローマの名残のひとつ、フラヴィオの円形闘技場(l’Anfiteatro Flavio)。これはイタリアで三番目に大きい円形闘技場で、またきれいな状態で残っているすばらしい遺跡です。
遺跡に棲んでいる黒猫くんは、この円形闘技場の建造を始めた皇帝ネローネにふさわしく、ネローネという名前。
そして、まるでグラディエーターの末裔!?と思いたくなるような、立派な体格の人もなぜか忽然と現れて、古代に迷い込んで嬉々としている旅人たちを案内してくれたのでした。小さな町ならではの出会いかもしれませんね。
後編では、ナポリから船で海上へ出ます。向かうのは、青く青く輝く海に浮かぶ美しい島、カプリ島です。