愛する『花椿』の読者のみなさま、はじめまして。
6回にわたって、植物と神話のお話を書かせていただくことになりました。どうぞよろしくお願いいたします。
私はもともとアートやカルチャー分野のライターをしていましたが、子どもを産んでから自然療法をあれこれ学ぶうち、植物の威力・魔力にすっかり魅せられてしまいました。そうしていつのまにか、アロマやハーブのお仕事もしておりました!
植物の叡智は、はるか紀元前何千年も昔、古代エジプト時代から知られ、美容や医療、なんとミイラ作りにも、さまざまに用いられてきました。
でも植物の魅力は、その効果効能ばかりではありません。美しい花々や木々の香りの心地よさ、風に揺れる音や枝葉の動きの楽しさ、季節によって変わるさまざまな様子のおもしろさ。ただ植物と一緒にすごすだけでも幸せを感じたりしますよね。それもそのはず! だって私たちひとは、大昔、森とともに生きていたのですから。
そう思うと、ひとは植物を、古来どんなふうに感じて、どんなふうに見てきたのかな、どんな表現をしてきたのかな~なんて好奇心もむくむくと湧いてきます。そこでかねてから、神話のなかの植物をみてみたいな、と思っておりました。
それでは、どうして南イタリアかというと……。
じつは昨年初めて南イタリアへ旅したのですが、それまで私の知っていた北部・中部のイタリアとは違うイタリアの顔に出会ってしまって、びっくりするやら、感動するやら、感涙するやら! そこはイタリアだけど、古代ギリシアを感じる神話的な世界でもあったのです。
そこで、この南の地をめぐる旅を辿りながら、神話と植物を眺めていきたいな~というのが、このシリーズです。
そう、イタリア、と聞いて、ぱっと思い描く街はどこでしょう?
ファッションの街ミラノや水の都ヴェネチア、ルネサンス・花の都フィレンツェ、巨大な帝国の中心であったローマ……、素敵な街がたくさんありますね!
それらより南下して、ナポリや火山噴火で滅んだポンペイなどをふくめた南の地域は、南イタリアと呼ばれるちょっと遠くて行きにくい土地。
じつは同じ国と言っても、北と南では風土も違うし、もともとの民族も異なるためか気質も違います。
風光はどこまでも美しい。陽射しも強くなってきます。
イタリアはどこもいずれ劣らぬ美味な食事にあふれているけれど、南はやっぱり野菜も魚も新鮮で美味しいし、人は元気でおおらか!
ドイツの文豪ゲーテも、自分の国より南の地イタリアに焦がれて旅をし、その著『イタリア紀行』では、ナポリやシチリアの日々が熱く綴られています。彼にとってかの地への旅がどれほどの大事件だったか、という様子が窺えます。
さて、神話というと、ちょっと難しそう、とか、神話って怖いよねー、とか、いろいろなイメージがあると思いますが、それぞれの植物がどんなふうに神話に登場するかって、不思議じゃないですか? 昔の人は木々や花々を眺めながら、そんなこと考えていたのかなあ、って思うと、その想像力にきっとドキドキワクワクしてきちゃいますよ。
たとえばマツ。
イタリアのマツは、日本のそれとはまったく姿が違っています。空高くまでぐんと伸びて、上のほうだけ笠のように枝を広げるので、イタリアカサマツと呼ばれます。
遠くからでもとても目立ってイタリアらしい風景をつくり上げている、存在感のある樹です。その姿は街なかでも、空港前の広場でも、いろいろな場所でランドマークのように見かけられます。
マツのお話はこうです。
ギリシア神話に登場する大地の女神レアーは、あるとき羊飼いに恋してしまいました。が、その恋は叶いませんでした。なぜなら、羊飼いには恋人があったからです。
レアーは悔しさから羊飼いをマツに変えてしまいます。
けれど、自分の恋心を変えることはできません。毎日、羊飼いの変貌した木の下で、悲しみ過ごしたそうです。
ギリシア神話に登場する神様たちはすぐ恋に落ちて、しかも感情が激しい! 理性と抑制心のある私たちから見るとびっくりしちゃいますけどね。
笠のように広がる枝の下は、容赦ない陽光からの影を作ってくれて、ほっと息をつくのによさそうですものね。
マツはギリシア語でピテュス(pitys)といいますが、ピテュスという名のニンフ(妖精)が、牧神パーンの愛を拒んでマツに変身した、という話もあります。
牧神パーンは、上半身は人間、下半身はヤギで蹄を持ち、頭には2本のヤギの角も生えている姿をしていて、古い時代から羊と羊飼いを守る神様です。
この失恋で、パーンにとってマツは大切なものとなり、彼はその枝葉の冠を被っているのだとか。
この神話には別のバージョンもあります。
こちらの話では、ピテュスはパーンと北風の神ボレアースの二人から求愛されて、パーンを選びます。それに怒った北風の神は、彼女を崖から吹き飛ばしてしまうのです。
それを哀れに思った豊穣の女神デーメーテールは、彼女をマツに変えてあげました。
ナポリの港に近い王宮の壁の上にも、イタリアカサマツが背伸びしているみたいに見えていました。
イタリアというのにギリシア神話が出てくるのは不思議? でも、もともとナポリは、紀元前5世紀頃に海を渡ってきた、ギリシア移民のつくった街なのです。ナポリ近辺にはギリシア式の神殿も、たくさんあるのですよ。
そう、ナポリ!
ヴェスヴィオの火山を抱く青いナポリ湾の眺めは、昔から人々を魅了しました。
イタリアの人は《Vedi Napoli, e poi muori.》「ナポリを見て死ね」といいます。その美しい風光を見ずに死んではもったいない、と。
でもそれはきっと、美しい風光のことだけではないでしょう。
強い光と影、喧騒と静寂、興奮と陶酔、生と死、聖と俗…あらゆる正反対のものも同時に受け入れてしまう、混とんというのか、おおらかというのか、はたまた愛というのか! そこにはなにか特殊な引力が働いているみたい?
人も車もごった返し、活気あふれるナポリ市内では、なかなか植物の話にいきつけませんね。
(後編は、ナポリから郊外のカゼルタに足をのばします。)