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90s in Hanatsubaki

2019.03.04

第6回 Japanese Beautyを求めて、HIROMIXと出会う その3

文/林 央子

写真/細倉 真弓

当時のカルチャー・シーンは、音楽と雑誌とファッションと写真が結びついて、いろいろなことがとてもスピーディーに動いた。ビッグミニでセルフポートレートを撮影した若い写真家HIROMIXは、セルフィーや自撮りの祖としても、写真史のなかでいろいろに語られているかもしれないが、『花椿』のBeautyぺージを苦労しながら担当していた編集者として、HIROMIXという存在を振り返ったときに思い浮かべるのが、ソフィア・コッポラが監督した映画『ロスト・イン・トランスレーション』で、映画の最後にスクリーンに大きく映し出された黒髪の、彼女の姿だ。東京を舞台にして、年のはなれた白人男性と女性が出会う、淡い恋物語という映画の筋書きとはまったく無関係に、HIROMIXは登場した。

2018年1月、映画監督になって20周年を迎えたソフィア・コッポラが、4年ぶりに来日し、トークイベントでこう語った。「90年代東京のスナップショット・カルチャーに、私はとても影響をうけました。今こうして映画を監督しているのも、東京のスナップショット・カルチャーや写真に影響をうけたところが大きい。だから、東京にはとても感謝しています」。そういうコメントを、TSUTAYA六本木での記者会見で述べたのだ。取材嫌いで知られるソフィア監督は、インタビューのチャンスがなかなかない。個別取材に時間をとれても、長くて15分。そこまで自身の発言を注意深くコントロールする彼女だが、その日はインスタ映えのするTSUTAYA六本木という場にあらわれ、東京の書店という場所をなつかしそうに見回しながら、この一言は言っておきたい、という熱心さでマイクを手にして語ったのだ。その言葉から、少なからずの人々が連想したものは、『ロスト・イン・トランスレーション』のラストシーン、HIROMIXへのオマージュの場面だっただろう。あのシーンは、90年代におけるHIROMIXという存在を、ジャパニーズ・ビューティーの象徴として、世界に改めて強く、広く印象づける場面でもあったと私は思う。

いまも昔も、美しい女性像というものをつくりあげる作業に、たくさんの人が関わっている。映画業界も、ファッション業界も、美容業界も、芸能業界や出版業界も、広告業界も、多くの人の心に訴える、美しい女性のイメージを作り上げるために、それはたくさんの努力を費やしている。それも、世界中で。

世界に流通している美しい日本女性のイメージというのは、どんなものだろう? という問いを考えたときに、海外の白人モデルを起用した女性像を美しいものとしてきた日本のファッション業界や美容業界が全力をあげてつくってきたイメージが、日本人を象徴する美として世界に流通した例はあまり思いつかない。時代をさかのぼれば、ジャパニーズ・ビューティーといえば山口小夜子さんがいたかもしれない。けれどもパリ・コレのキャットウォークとか、ステージの上にいる女性ではなくて、「気がついたら自分の隣に居そうな女の子」のような存在感でケイト・モスがスーパーモデルになっていった90年代に求められた、本当に現実の風景のなかに存在している感じがする女性のイメージとは……?

HIROMIXの場合、現実の東京の風景の中に彼女がいたばかりでなく、それが自分で切り取ったセルフ・ポートレートのイメージである、ということに、意味を見出すことができるのではないだろうか。1991年には高橋恭司が『CUTiE』の表紙で日本人女性をモデルにし、ホンマタカシは95年に「東京ティーンズ」のシリーズを作品にした。93年にデビューした長島有里枝は、状況をセットアップし自分自身も登場するコンセプチュアルな家族写真でパルコの「アーバナート」でパルコ賞を受賞していた。HIROMIXは、高校生のころふと手にしたコンパクトカメラによるスナップ・ショットで自分の姿を切り取っていて、結果的にそのイメージは、世界にひろく流通した。グローバルに通用するジャパニーズ・ビューティーに、自ら撮影した写真によって、彼女はなったのだ。映画産業もファッション産業も、HIROMIXほど印象的な、日本人女性の美のイメージを作り上げることはできなかった。そこにいくら、たくさんの資本を注ぎ込んでいたとしても。

木村伊兵衛賞のインタビューのとき、HIROMIXにセルフ・ポートレートの秘訣を聞くと、「愛しい人を思いながら撮る」と彼女は語った。90年代、出版業界にしてよく耳にしたキーワードは「リアル」そして「リアリティ」だった。メーキャップにおいても、いかに素の魅力を出せるかに重きがおかれていて、表現はどんどんミニマルになっていった。(SHISEIDOはケヴィン・オークインの後、ミニマルメークで鳴らしたメーキャップ・アーティスト、ディック・ページとも契約し、02年にINOUI IDという最先端のメーキャップラインを誕生させた。)

高校生のおわりに参加した公募展、写真新世紀で荒木賞を受賞したことをきっかけにしたデビューから、一年半。そんな時期に、たったひとりの写真家に捧げる若者雑誌が出た(『STUDIO VOICE』1996年3月号「ヒロミックスが好き!」特集)。そのことは90年代という時代のスピード感と狂騒を象徴していた。カメラの前にも後ろにも立った彼女だが、そこまでの狂騒を意図していただろうか? それに疲れてしまったのか、2000年に長島有里枝、蜷川実花とともに三人で木村伊兵衛賞を受賞したころから、ヒロミックスは第一線に出ることがまれになっていった。マネージャーがいたりギャラリーに所属した時期もあったがほんの一時期で、そうした存在とも長く距離を置いているようだ。写真ブームと言われた90年代に出版された彼女の写真集を20年後の今手に取ってみると、そのセンスの良さはやはり、際立って見える。現在もアメリカで名前を馳せた女性ブロガーたちが来日すると、ヒロミックスに自分のポートレートを撮影してほしい、と願う人が多いと聞く。90年代東京のカルチャーを、印刷物を通して見ていた海外のアーティストが本人に会いにくることも、よくあるようだ。あらゆる産業が、どんなに努力しても描くことのできなかった「ジャパニーズ・ビューティー」のイメージを、自分1人で描いた写真家HIROMIXの功績は、90年代ブームといわれる今こそ再び評価されていくのかもしれない。

林 央子

編集者

1988年に資生堂に入社以来、2001年に退社するまで、花椿編集室に所属。入社時の名物編集長、平山景子さんやアートディレクターの仲條正義さんから編集のいろはを学ぶ。古き良き資生堂宣伝部の自由な雰囲気や、銀座という独特な風土の中で国内外のクリエイターと交友を深めた。フリーランスになってからは雑誌などに執筆するかたわら、個人雑誌『here and there』を立ち上げる。2019年から2年間、ロンドンで生活し美大セントラル・セント・マーティンズで展覧会研究に着手。著書に『つくる理由』(2021年)、『拡張するファッション』(2011年、のちに同名の展覧会になって水戸芸術館現代美術センター、丸亀市猪熊源一郎現代美術館へ巡回)ほか。『here and there』 最新号のvol.15は7月1日発売。本連載をまとめた書籍は近日刊行予定。(Amazon.co.jpにて予約受付中)。(画・小林エリカ)
http://nakakobooks.seesaa.net/
https://hereandtheremagazine.com/

細倉 真弓

写真家

東京/京都在住
触覚的な視覚を軸に、身体や性、人と人工物、有機物と無機物など、移り変わっていく境界線を写真と映像で扱う。立命館大学文学部、及び日本大学芸術学部写真学科卒業。写真集に「NEW SKIN」(2020年、MACK)、「Jubilee」(2017年、artbeat publishers)、「transparency is the new mystery」(2016年、MACK)など。
http://hosokuramayumi.com