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花椿交差点

「銀座と資生堂の物語 」〈前編〉

2020.04.17

文/森岡督行

1872年に銀座の地に西洋風の調剤薬局として創業した資生堂は、この街の変遷に常に寄り添い、そして共に文化をつくってきました。銀座はいまや世界の〝GINZA〞となり、人々の憧れの場所でもあります。〝銀座〞と〝資生堂〞のつながりについて、銀座で1冊の本を売る書店を営み、歴史的建造物や工芸、そして風俗史に造詣の深い森岡書店店主の森岡督行さんが考察しました。

出雲町店・薬品部/飲料部。(現・東京銀座資生堂ビル、資生堂パーラー)の内観(1922年)

 銀座には、近年、たくさんの外国人観光客が足を運んでいます。通りを歩けば、ここは日本なのかと思うほど、さまざまな言語が聞こえてきます。近ごろは、観光のトレンドが、かつての「消費から体験へ」から、「体験から学びへ」に移行したと聞きます。私は「銀座」で店舗を構えて5年ですが、確かに、銀座の街には体験があり、そこから学びがあることを実感しています。では銀座には、どんな体験や学びがあるのでしょうか。私は、これを述べることが「銀座と資生堂」というテーマに直結していると考えています。

銀座の街頭(1933年5月、影山光洋撮影)
地下鉄銀座駅開業(1934年3月)

 銀座といえば、いくつか代名詞がありますが、そのひとつに鮨があります。私が、いわゆる銀座の鮨を好きになったのは、東銀座の鮨 石島に行くようになってからです。鮨 石島の外壁は銅葺きになっています。銅葺きは、関東大震災後の防火対策として採用されたので、きっとそのころの建築でしょう。はじめて鮨 石島を訪ねたとき、銀座に鮨のあるわけがわかったような気がしました。魚ごとにある風味をしっかり感じることができたのです。ご主人の石島さんの挨拶にも驚きました。すごい勢いの「いらっしゃいませ」に飛ばされ、壁に釘付けになったような気がしました。何度か通ううちに、季節ごとの魚を出してもらっていることに気づきました。春なら、鰆、白魚。夏は縞鯵、カンパチ。冬は平貝、鮪。小鰭は、決して高級なネタではありませんが、赤酢のシャリのあいだに、海老のでんぶが入り、風味に変化をつけます。卵焼きにも海老のすり身が入り、控えめな甘味が広がります。脇役にこそ仕事が表れます。年始には、染め付けの松葉が描かれているお皿が出てきます。松葉は常緑なので、転じて、健勝や快活というメッセージが込められます。お客様が左利きであれば、二つ目の鮨からは、左手で取りやすいよう、左斜めに置かれ、繊細な手さばきはまるで手品を見ているようです。

竹川町店・化粧品部(現・FUKUHARA GINZAビル、SHISEIDO THE STOREからのウィンドウ、1937年頃)

 バーの存在も銀座には欠かせません。鮨 石島の近くの路地裏にも、静かに佇むバーがあります。ここで私は最近「カルバドス・ソーダ」を飲んでいます。アイスピックで氷を砕く音、それをグラスに移すときにあたる音、ステアの音、氷が割れる音、そのすべてが心地よく感じられます。氷があまりに綺麗なので、訊けば、なんと銀座周辺には氷を専門につくる業者が3軒あるとのこと。銀座の氷。きっとそこにも長年培われた技術があるに違いありません。「よい氷はグラスのなかで浮かぶことがない」とマスターの栗岩稔さんは言います。驚いたことに、栗岩さんによれば、「氷も季節によって表情が違ってくる」とも。季節の温度によって氷の凝縮に違いが生じるそうです。砕いたときの違いは、毎日、氷に触れないとわからないでしょうが、銀座な「カルバドス・ソーダ」にも季節が反映する余地があります。氷の一点が輝きを帯びて、美術館にある美術品とはまた違った美しさが感じられます。そこに宇宙の不思議が接続します。
 バーの書棚には、モダンガールが写っている銀座の写真集があり、栗岩さんとモダンガールについて話をしたことがありました。モダンガールは大正末期から昭和初期にかけて洋装と断髪で闊歩した女性たち。自由に洋服を選び、自由に職業を持ち、自由に恋愛したと聞きます。いまでは当たり前のことでも、当時は簡単ではなかったはず。その意志が外見に出ているから、モダンガールはいまも活発に見えるのでないでしょうか。そして、現代の女性と地続きなのではないでしょうか。栗岩さんとの会話も醍醐味です。
 銀座六丁目にある大和屋シャツ店は、オーダーメイドのシャツを手がける老舗として知られています。あるとき、業界の先輩がここのシャツを着ていました。訊けば、ご自身が誂えたものではなく、そのお父さんがつくったシャツでした。それが息子にもぴったりなのです。シャツの佇まいに時間の重みが感じられ、私も敷居をまたいでみたいと思いました。実際に訪ねてみると、まず、上半身14箇所の寸法を測るところから始まりました。私の鎖骨は、平均的な鎖骨より、ずっと前につき出ていることが判明しました。そのため、衿先が持ち上がってしまうのだそうです。この点をカバーする寸法になりました。約1000種類の生地が整然と並びます。生地は2週間くらいで季節ものが追加されます。偶然、10年ほど前のシャツを、今の体型に合わせてほしいというお客さんと居合わせました。きっと、思い出などが付されて、単なるシャツではない、何か大切なものになっているに違いありません。私は、このようなものとの付き合いが、これから見直されると考えています。大和屋は1876年に横浜で開業し、1946年に銀座へ移転しました。時代に左右されることなく、且つ、時代が求めるものを見た想いがしました。
 鮨やバー、シャツだけでなく、天麩羅や喫茶店、帽子、和装など、銀座にはこのような美意識のあるお店が、各分野いくつも存在するからすごいです。

「銀座と資生堂の物語」 〈後編〉へつづく 

クリエイターの紹介

森岡 督行

店主

森岡書店主。森岡書店代表。1974年山形県生まれ。著書に『荒野の古本屋』(晶文社)、『BOOKS ON JAPAN 1931-1972』(ビー・エヌ・エヌ新社)などがある。企画協力した展覧会に「そばにいる工芸」(資生堂ギャラリー)、「畏敬と工芸」(山形ビエンナーレ)などがある。近年は洋服などのプロデュースを手がけることも多い。株式会社森岡書店代表。『工芸青花』(新潮社)のウェブサイトにて「森岡書店日記」を連載中。

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