(きれい……)初めて見たとき、そう感じたのを覚えている。
母の鏡台に、それはあった。六角形で、エメラルド色で、光を通し、芳しい。
香り立つ宝石のようだった。森の奥の、誰にも知られていない秘密の泉のようだった。
そして子ども心に、触れてはならないものだということもわかった。
(でもいつか……)
そんな憧れを抱いた。
それから何年か経って、『カエルの王子様』というお話を知った。ある国の王女が、泉に毬を落とす。カエルが出てきて、「毬を拾ったらお友達にしてください」と言う。王女は約束して毬を受け取る。
食事中の王女の所にカエルが現れ、「お食事にまぜてください」と言う。
王女は驚くが、父である王様は、「お前が約束したんだから、約束は守りなさい」と言う。食事を終えて王女が寝室に行くと、「一緒に寝ましょう」とカエルがやって来る。激しく断り、「もうお城に入って来ないで!」と叫ぶと、カエルはしょんぼりとうなだれる。「わかりました。もう二度と王女様のもとには参りません」とカエルは言う。王女は一瞬可哀想に感じて、カエルをすくいあげ、キスをする。するとカエルはみるみる大きくなり、王子様に戻る。
二人は結ばれる……。
大人になったわたしは、子どもの頃触れてはならないはずだったエメラルド色の石鹸に手を伸ばす。とたんに香りが立ち上る。そして見えてくる、蜜蜂のダンス、蜜蜂の集団の暗号。聞こえてくる高音の羽音はやがて、周波数を増して聞こえなくなってゆく。誘われて、歩き出す。森の奥へ。
泉のほとりには、ナルキッソスと女神。懐かしい。初めてなのに懐かしい。わたしは一歩一歩、裸足のまま歩みをすすめる。木々の曲線のワルツ。月明かり。わたしの髪や肌は、夜露に濡れてしっとりしてくる。エルドラド、という言葉が浮かぶ。それは黄金郷のこと……。
恍惚の中でわたしは、カエルに出会う。
「ずっと待っていました。その間に、体の色が変わりました」
カエルの体はエメラルド色で、光を通し、芳しい。
(きれい……)
わたしは一瞬緊張してから、うっとりして、目を閉じる。カエルはみるみる大きくなり、わたしの恋人になってゆく。
そこは誰にも知られていない、秘密の泉。
鏡台に、エメラルド色の石鹸を置いたままだったことに気づく。
「これですね」
恋人がわたしに、六角形のエルドラドを手渡して、そっと微笑む。