今わたしの家には卓上鏡があって、それは、母が昔持っていたものを真似して購入したものだ。
銀色の土台に、回転する楕円の鏡。鏡の裏は布ばりになっていて、もりあがった織りのようなもので、深い青緑の美しい花柄が描いてある。その鏡は、いつもは居間の棚の上にあって、土台のくぼみにはいくつかのイヤリングと指輪。たまに炬燵の上へと移動されて、その時だけ、鏡台というものが我が家に出現するのだった。
母は鏡に向かっても、さほど化粧をしていたようには見えなくて、何をしていたのかは記憶が曖昧なのだが、炬燵の向かい側から、その鏡の裏をじっと見て、模様を頭の中でなぞり、時にはそっと直接触ってみたりして、味わった。わたしの中で、一番親しい鏡だった。
数年前、同じ鏡の未使用品がインターネットで売られているのを偶然発見した。記憶を強く掴まれて、すぐに購入したのだが、函には〈花椿会記念品〉(※1)と記載。今回のエッセイを書くにあたって、資生堂の方に聞いてみると〈花椿会記念品〉というばかりでなく〈一九七三年 ゴールド会員用スタンドミラー〉とのこと。当時のゴールド会員が五段階のどこに位置していたかは不明なのだそうだが、なんといっても〈ゴールド〉だ。口紅一本でもらえるというようなものではないだろう。鏡は、わたしが生まれる三年前のものだから、化粧気のない母とは違う女性がいたのだと思うと、可愛らしく思った。
もうひとつ、資生堂といえば、中村誠さんがいる。長く資生堂のアートディレクター、グラフィックデザイナーを務められたので、ポスターに記憶のある方も多いのではないだろうか。中村さんは同じ盛岡出身だということもあり、ずっと憧れの方だった。一度お会いしたいと思い続けて、それはかなわなかったけれど、一昨年の資生堂ギャラリーでの展示は、非常に感動した(一つ一つ書きたいが割愛)。印刷指示もたくさん展示されており、今まではわからなかった、印刷上のトライアルの数々、デジタル技術がない中での繊細な挑戦の末の美しさの体現に涙がこぼれた。展示の後に、母と話す機会があったので、中村さんのことを言ってみると、「ああ、肴町の中村さんの息子さんね。○○と△△の店の看板は中村誠デザインよ」と知った店の名前が出てきて驚いた。母の知らない顔がここにもあった。