ある物体に紙を載せ、その上から鉛筆などで擦ってその物体を紙上に写しとるという、美術的にはフロッタージュと呼ばれる手法があるのだが、この話はその専門用語を知る10年以上前の自分である。どこかでそれを習い、手当たり次第家の中にあるものを見つけては紙を当て鉛筆で擦りまくった。そうするうち、だんだん子供なりにやるべき価値のあるものとそうでないものとが擦る前から予想できるようになっていく。やる価値があるのは凸凹がはっきりしていてデザインがきれいなもの。はじめの段階での成功例は十円玉、百円玉といったコインであった。しかしそれ以上のかっこいいものをつくりたいと思った僕が向かったのは母親の鏡台。そこにはキャップの丸い天面いっぱいに凹凸しっかりと、モダンな唐草模様が刻まれたクリーム瓶があるのを知っていたからだった。
予想に違わずそのキャップは、紙の上に美しい模様を浮かび上がらせた。他の化粧品も試したがやはりそれに勝るものはなく、これが王様だと思った。さらには十円玉の中に標本のように収まっている絵や文字とは違い、十円玉の三倍ほどの直径の円に囲まれたその植物の模様はどうだといわんばかりのたっぷりとした迫力を持っていた。まるでそれはどこまでも外へ拡がっていく感じがして、子供なりにそのイメージに近づけたくて何回か模様を重ねたり、わざと紙を動かしながら擦ったりといろいろと工夫をした。
ドルックスの話はお終いだが、母親の鏡台は今も現役として存在している。その話よりもっと昔、その鏡台の裏側にいたずら書きをした。もちろんルージュの伝言などではなくクレヨンで。それが本当の記憶なのか夢の思い込みなのか急に気になり、たまたま実家にいった時、その鏡台の裏側を覗いてみた。そこには自分の記憶そのままに、オレンジのクレヨンで「ぬ」とか「れ」とか「わ」の文字が多数、何個かはひっくり返しに書かれていた。しかしなぜ鏡台か。もしかしたら口紅を引くという母の行為に高揚し、その時の自分としては最も大人っぽい文字を書いてしまったとも思える。何れにしろ、そのあたりに化粧品に対する偏愛の匂いがする。