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インタビュー

2022.10.19

「マイ・ゼロ・ストーリー」 第5回 田中文江

好評をいただいている連載「マイ・ゼロ・ストーリー」。
花椿編集室がいま会いたい人にお会いして、その方の現在の活動の原点となった出来事や刺激を受けたこと、そして現在とこれからについてなど、たくさんのことをお聞きします。

第5回は、FUMIE=TANAKAデザイナーの田中文江さん。今年の第40回毎日ファッション大賞新人賞・資生堂奨励賞を受賞された田中さんに同賞受賞にさいしての想い、これまでとこれからの創作についてうかがいました。

ファッションを通して伝えたい、フミエ タナカのひたむきなモノづくり。

「え? 本当に?!」―田中文江さんが第40回毎日ファッション大賞新人賞・資生堂奨励賞受賞の知らせを聞いたときの第一声だ。というのも同賞候補には過去、3度選出。今回が4回目のノミネートだった。
「3度目に落ちたときは正直、『一体何をすれば受賞できるんだろう?』って。でも今回、『やっと伝わったんだ』と鳥肌が立ちました。一生懸命、やってきたことが評価されたのが嬉しかった」
 フミエ タナカは2020年春夏コレクションデビューだが、田中さんのデザイナーとしてのキャリアは長い。大手アパレルで20年以上、さまざまなブランドを手掛けたベテランだ。ただ企業内デザイナーという立場では、どうしても〝自分〞をセーブせざるを得なかった。自分の想いを存分に入れ込み挑戦したいと独立を決めた。
 フミエ タナカの前身となるザ・ダラスを立ち上げたのが、2016年。当初は全く反応がよくなかったという。
「展示会を開いても誰も来てくれない。長く業界で仕事を続けていますが、そのとき初めて大泣きしました。私、今まで何をやってきたんだろうって。どうすればよいのか、全然分からなくて」
 そのとき、ビジネスパートナーでもある夫のことばが気持ちを切り替えるきっかけとなった。「泣いていても何も始まらない」

「考えてみれば都合のいい話ですよね。私が勝手につくったものを『見てください』『じゃあ買ってください』って。『私はこれがいいと思う』と言っても全然説得力がない。自分に価値をつけなければって思ったんです」
 今ではフミエ タナカのシグネチャーであるアクセサリーの制作はそんな想いで始めた。「最初のうちは自宅の食卓をアクセサリー制作台にして。子どもたちには『ママが大変なときだから、ごめんねー』と言いつつ、2年ぐらい食卓ではご飯が食べられない状態が続きました」。手づくりのイヤリングを一人で、これまで約2万セットつくってきた。ときにはポップアップイベントで、来場する人の好みを尋ね一緒に考えながら制作。実際の顧客との対話を通して、人の心に響くモノづくりの「ここだ!」というポイントが掴めたという。ブランドは軌道に乗り、ショーを開催するまでに成長した。
 ザ・ダラスの2回目のショーを終えた囲み取材のとき、思わず田中さんの口から飛び出したのが「これが最後のショーかもしれません」ということば。田中さん自身、全く予期していない発言だった。
「きっと深層心理にあった本音がぽろっと出てしまったんですね。続けるうちに『〝ブランド〞をやっている』という意識、企業内デザイナーの延長線上の感覚が強くなってきて。このままだと服にも自分にもウソをつくことになると気づいたんです」
 ちょうど海外ビジネスも視野に入れていた頃、自分の名前を冠したブランドで覚悟をもってチャレンジしたいと思った。「自分だったら?」という気持ちから始めないと伝わらない。フミエ タナカはこうして生まれたのだ。

第40回毎日ファッション大賞新人賞・資生堂奨励賞受賞にさいして制作したFUMIE=TANAKA×資生堂クリエイティブのオリジナル広告。AD 小林真紀、CW 宮澤ゆきの、PH 金澤正人、P 宮岡知子(毎日新聞9月13日付朝刊掲載)

制作は、今、日常で関心のあることの書き出しから始めるという。自分の気持ちや色、売れている化粧品、美味しかった食べ物、気になったニュースなど何でも書いていく。ただ、前回22-23年秋冬コレクションの制作時に「参ってしまうほど気になっていたのに、書けなかった」のが、ウクライナ情勢だ。惨状を憂える自分の気持ちのもっていき場がなかった。
「これが日本で起きたら? など悶々と囚われてしまうので、雑念を払おうととにかく〝編むこと〞に没頭したのが今季のコレクションです」
 編みあげた三つ編みをボディにピン打ちし、形を調整しながらつくったドレスがコレクションの核となった。披露したショーでは、彼の地に想いを馳せる時間をつくりたいと演出を工夫。ショーのひと時を共に過ごす中で、モデル、スタッフ、来場者の気持ちが一つになり「想いが伝わり共有できた」という瞬間があった。

22-23年秋冬コレクションより©FUMIE=TANAKA
フィナーレでは平和への祈りを捧げるようにモデルたちはみな円になり空を仰いだ©FUMIE=TANAKA
©FUMIE=TANAKA

目下の目標は海外、そして将来は異分野へも興味が広がっている。中心に置くのは人との関わり、そしてファッションで自分を表現する喜びだ。リアルに人々が求めるものと自分の想いの接点を探りながら、今日も服づくりを通して〝伝えること〞に挑戦している。

花椿編集室からのQuestionに、田中文江さんが答えてくれました

Q . 子供のころの夢は?

Q . 落ち込んでいる人に声をかけるとしたら?

Q . いま、行ってみたい場所は?

Q . 「美」ということばからイメージすることとは?

田中 文江
1975年大分県出身。98年大阪モード学園卒業。2020年春夏コレクションより自身の名を冠したフミエ タナカを始動。同年TOKYO FASHION AWARD受賞、21年秋冬ロンドン・ファッション・ウィークへ初参加。小さい頃の夢も「洋服をつくる人になりたい」と、今まで全くブレていない。リカちゃん人形が大好きで、自分の靴下で洋服をつくってあげていた。片方だけの靴下がたくさんでよく母親に怒られた。

撮影:大谷 麻葵(資生堂クリエイティブ)
インタビュー:呉 佳子(資生堂ファッションディレクター)