前編(記事はこちらから)では音楽との出会いと、楽器を演奏することに夢中になっていった日々を語ってくださった岸谷香さん。後編では十代で親の反対を押し切ってプロの道に進んだ当時から、自分が子供を持つ母親になった現在まで、「好きなことを続けてこられた理由」を掘り下げます。岸谷さんを常に支えてきたポジティヴな考え方が、これから彼女がつくる音楽にどのように反映されていくかにも触れています。
デヴィッド・ボウイなどの撮影で知られる世界的な写真家・鋤田正義さんの撮り下ろしポートレイトとともにお楽しみください。
「運命」に気づいていなかった5人の出会い
オーディションで(後にプリンセス プリンセスになる)5人が運命の出会いをしたわけですが、本来ならばアマチュア・バンドとしての練習期間があって、じっくりスキルをアップしてからプロになるべきなのに、私達は出会っていきなりデビューしちゃった。最初にメンバーがスタジオに集まって、「コピーしてきなさい」と課題で出された曲がノーランズの「ダンシング・シスター」だったんですけれど、コピーしてきたメンバーはほとんどいませんでした。というか、楽器が弾けるというほどのレベルに達していなかったので、できなかったんです。私は一応、真面目にコピーだけはしていって、「香だけコピーしてきたから、仮歌をうたっておいて」といわれて、なんとなくヴォーカルになりました。そのときはまだベースも弾いていましたね。その後アッコちゃん(渡辺敦子)と交代することになるんですけれど。
とにかく一番年下の私が15歳で、他のメンバーもまだ子供だったので、もともと自分達はどんな音楽がやりたかったのか、なんのためにバンドをやろうとしているのか、そういうことも考えられない状態でしたね。アイドル的なこともやらされて、本当に嫌だったのに、それも怖くて大人達に「嫌だ」といえなかったんですよ。
深夜のレンタル・スタジオからの第一歩
そうこうしているうちに、デビューしてから1年くらい経ちましたが、箸にも棒にもかからないわけです。とにかく全く売れなくて。会社もクビになりそうになって、もうバンドを解散して家に戻るか、この先どうしようかとメンバーみんなで話し合ったとき、「このまま終わるんじゃ、くやしくない?」という意見が出て。「そもそも、こんなことやるためにバンドを始めたんじゃないんだよね」と誰かが語り出して、「私も」「私も」みたいな雰囲気になったんです。ここでようやく、「私達はなんでバンドをやり始めたのか」という基本的なことに、メンバーそれぞれが向き合ったんですよね。それで「事務所クビになっても、もうちょっとだけやってみようよ」という結論になりました。私も「昔からメロディーをつくっていたから、曲書くよ」なんていって、ギターの加奈ちゃん(中山加奈子)とドラムとのキョンちゃん(富田京子)が、「学生の頃からノートに詞を書きためてある」といい出して「だったらオリジナルの曲、つくろうよ」と盛り上がって。それで、会社を辞めた後もなぜか合宿所に残り、みんなでレンタル・スタジオに入って、オリジナルの練習を始めたんです。要するに、普通はバンドがアマチュア時代に経験するようなことを、ここで初めてやり始めたんですよね。
お金がないから、夜中の1時から朝の6時まで、レンタル・スタジオは深夜料金で借りて……楽しかったですね。10代の終わりの女の子達が、下積み感満載で練習していることが、逆に面白かった。深夜のスタジオなんて、ちょっと悪い子風だし(笑)。もともと音楽の好みも全く違ったから、最初はAOR調の落ち着いた雰囲気で始まるのに、急にヘヴィメタルというか、プログレみたいに激しくなるようなメチャクチャの曲もありましたが(笑)、ちょくちょくライヴもやるようになって、最終的にはプリンセス プリンセスとしてデビューする会社にお世話になることになったんです。
「全員女の子」だったからこそバンドは続いた
バンドが続いた理由は、全員女の子だったことが大きいと思います。これが10代の男の子達だったら、親の反対や周囲の目を気にしちゃうと思いますが、私の親でいえば「ダメだったら大学に行けばいい」と思えたし、高校を卒業していたメンバーの親も「バンドで成功しなくても、いつかは嫁にいくわけだし……」と考えられたと思うんですよ。男の子で、ましてや長男だったらそうはいかないというか、責任の重さが違うじゃないですか。ちゃんと就職しなくちゃいけないプレッシャーが。今の時代はまた考え方も変わってきていると思いますが、少なくとも当時の女の子にはそういう気楽さがあったと思います。
それとメンバー全員が東京近郊の出身で、いつでも実家に帰れたということも大きいと思います。地方から上京してきた子は、よく「成功するまで地元には帰れない」っていいますよね。私達は平気で普通に帰っていたから、毎週のように(笑)。そういう根性というか、ハングリー精神がないから、逆に楽しくできたんですよ。「お金ないなあ」「私、親にお小遣いもらってきちゃった。サーティワンのアイス、おごってあげるよ」みたいな。だから「バンドか、就職か」みたいなシリアスな選択に迫られずに、「楽しいうちはバンドを続けよう、やれるところまでやってみよう」と思えた。音楽をやるには、それぐらいの気持ちのほうが、むしろ継続できるんじゃないですかね。
無理して探さず、「目の前のこと」に夢中
これまでのことを振り返ってみても、私は何かを選択するときにわりと迷わないんです。もう簡単な話で、目の前にあるもので「これだ!」と決めちゃう。気がついたら一生懸命になっていて、他のことがどうでもよくなっているという状況の繰り返しなんですよ。
学生の頃は音楽に出会って勉強がどうでもよくなっちゃって、オーディションで仲間に出会って、プリプリとしてデビューした後は無我夢中で走り続けて……解散してからは結婚、しばらくはソロとして家庭のことと音楽を両方やっていたんですが、なんか中途半端な気がしていて……。子供が生まれて、今度は育児のことしか考えられなくなりました。生まれてきた子供の顔を見たら、もうとにかくお母さんという仕事を一生懸命やりたくなっちゃったんですよね。長男と長女、2人の子供を育てている期間、10年くらいはほとんど音楽から遠ざかっていました。このまま人生終わったとしても、それはそれで幸せだなと思い始めたときに東日本大震災が起きました。それで復興支援のためにプリプリを再結成することになって……今度はまた、「あれ、音楽ってこんなに楽しかったんだっけ?」と思い出しちゃって、再結成のライヴが終了した後、本格的に音楽の世界に復帰することにしたんです。
「今はお母さん」「今は音楽」と、あっち行ったりこっち行ったりして、2つの人生を生きているみたいですが、とにかく「あ、こうしたい」と思ったことに忠実に生きてきただけで。決して自分で無理をしてやりたいことを探したり、開拓してはいないんです。
年齢を受け入れ、楽しく毎日の食事を考える
年齢とともに容姿も変わっていきますが、同じように私がつくる音楽も変化してきています。それはナチュラルなことなので、受け入れていますね。だって皆さん、いくらおばさんになったからって、毎日、鏡を見て愕然としているわけじゃないですよね。受け入れるしかないというか、自然に馴染んでいくわけですよね。誰にとっても出会ったときの印象というのは強いものだから、私の音楽を聴いてくださる方々も、若い頃の私のイメージからなかなか離れられないと思いますが、ここまで年を重ねると、もう差が開きすぎて、逆に面白くなってきちゃうというか、気が楽になってきました(笑)。
健康には気をつけています。特に食事に関しては、すごく健康志向ですね。私は洗濯や掃除といった家事は得意じゃなくて、食事だけはつくるのが楽しいんです。掃除は片づけるだけだし、洗濯も洗うだけだけど、食事は日々新しいものをつくるから好き。身体にいいものを、いかに美味しく食べられるか、それを考えるのが楽しいんです。やっぱり子供がいると、自分が管理できるあいだは管理したい、訳の分からないものは、口に入れてほしくないと思いますし。
例えば玄米。子供が病気になったのをきっかけに、玄米を見直すようになって、今はすっかり玄米派になりました。ぬか漬けを漬けたりもしていますし、自慢じゃないですがうちで食べる玄米は美味しいですよ(笑)。
母の影響もあると思うんです。やっぱり育ってきた環境って大事ですね。母は「買ってきたものを夕食に出したことがない」といっていたんです。だから私も、ほうれん草のおひたしをお惣菜屋さんで買えないんですよね。ほうれん草を買って、茹でればいいじゃんと思っちゃう。意外と大変じゃないし、そのほうが美味しいですから。
どんな時代でも「私の音楽は永遠にハッピー」
健康には心の状態もすごく影響を与えますよね。笑うって人生の中でどれだけ大事なんだろうと思います。プリプリを再結成した1年間って、ずっと笑っていたんですよ。面白いメンバーがいるからってこともあるんですが、いちいち大爆笑、毎日お腹がよじれるくらい笑っていたんです。その1年間が終わって、日常生活に戻ってみたら、「なんか笑いが足りないな、私の毎日……」と感じました。それで「音楽をやっていないからだ」と気づいたんです。笑いはイコール、幸せにつながると思うので、そこは大事にしたいですね。どうせ生まれてきたのだったら、ハッピーに生きたい。もちろん痛みとかコンプレックスがあってもいいと思うけれど、それも人生のスパイスにできるように、ポジティヴに毎日を生きていきたいと思います。
最近すごく感じているのは、私が書く曲って、基本的にはハッピーな曲がほとんどだと思うんです。子供の頃つくった曲を思い出しても、コード展開はメジャーでした。「Diamonds<ダイアモンド>」のあのイントロのメロディーにしても、やっぱりハッピーな響きがあるからこそ、被災者の方々を少しでも元気づける役割を果たせたかなと思うし、私達自身も救われたなと思います。多くの方々にそういう意見をいただきましたし、改めて「誰かをハッピーにできる曲」だったんだなと感じました。
今のコロナの問題で、世の中が暗い雰囲気になってしまうと、やっぱりハッピーな曲を書きたいなと改めて思います。もうここまできたら「私の音楽は永遠にハッピーです」でいいんじゃないかと。たとえ流行からズレていたとしても、それでいいやと。私は一生ハッピーでいこうと、最近開き直ってきました(笑)。