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恋する私の♡日常言語学

2020.09.04

恋する私の♡日常言語学【Vol.11】「かわいい」ということばに潜む抑圧や差別意識

文/清田隆之(「桃山商事」代表)

協力/小川知子

イラスト/中村桃子

「恋愛とことば」をテーマにした連載「恋する私の♡日常言語学─Ordinary Language School」。かつてオックスフォード大学で哲学を学ぶ人々を中心に「日常言語の分析が哲学者の中心課題だとする方法意識」という思考のもとうまれた「Ordinary Language School」(日本大百科全書より)。この思考にヒントを得て、数々の恋愛話を傾聴してきた恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表の清田隆之と、『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)の選者も務め、人から話を聞くことを専門とするライターの小川知子が、恋愛においての「ことば」をめぐる諸問題について語り合います。
 意中の人や恋人となんだか上手くコミュニケーションが取れなかったり、すれ違いに悩んでいるあなた! その原因は「ことば」にあるかもしれません!

 

 

「かわいい」はマイクロアグレッション?

小川知子(以下小川) 今回は「かわいい」をテーマに語り合ってみたいんだけど、このことばにはいろんな意味や使い方があるじゃない? 例えば男性たちが女の人に対して言う「かわいい」とか、赤ちゃんを見たときに感じる「かわいい」とか。

清田隆之(以下清田) かわいい洋服やバッグを見たときにも使うし、映画や漫画にもかわいいキャラクターがたくさんいて、個人的にも頻繁に使うことばかも。

小川 清田くんはかわいいもの好きを公言しているし、自分自身もかわいいって言われたい人だもんね。髪型も服装も見るからにかわいいを狙ってる感じがするし。

清田 確かに意識してます……って、いきなり何の話よ(笑)。

小川 唐突にごめんね(笑)。いや、私自身はこのことばにモヤモヤするときが結構あって。例えば外国の人や海外ルーツの人たちが話す日本語をかわいいと言ったりすることがあるでしょう。テニスの大坂なおみ選手とか、『テラスハウス』に出演していたロン・モンロウさんとか。

清田 香港の民主化運動で注目された周庭(アグネス・チョウ)さんの日本語なんかもそう言われることが多いよね。

小川 こういった問題に限らず、ある種の稚拙さやたどたどしさをかわいいと形容する文化がこの国にはあって、私はそれに疑問がある。もちろん言ってる側に悪意はないだろうし、むしろ褒めことばとして使っているんだとは思うけど、自分がカタコトの英語を喋ったときに、「かわいい」と言われているシーンを想像すると、子ども扱いというか、上から目線というか、そういうニュアンスを含む表現のように感じてしまうんじゃないかなと。

清田 言われてみれば確かに……。最近「マイクロアグレッション」ということばを知ったんだけど、それは日常の何気ないシーンに潜む「見えない差別」や「意図せざる差別」みたいなものを指すことばなんだって。例えば「女性なのにバリバリ働いていてすごい!」みたいなことを言うとき、本人としては賞賛のつもりだとしても、その前提には「女性はそんなに仕事にコミットしないものだ」という意識があり、それが無自覚の差別であると。

小川 無意識の偏見ほどたちが悪いものはないからね。私も10代のときアメリカに留学したんだけど、アジア人の女子はとりわけ子どもっぽく見えるのか、あらゆる場で子ども扱いをされてモヤモヤしたことを覚えてる。ちょっと前に、韓国政治の専門家がBBCのビデオ取材を受けている最中に、子どもが部屋に次々と入り込んできた映像が話題になったよね。慌てて子どもを連れ戻した妻をベビーシッターだと勝手に思った人が一部いたことが物議を醸していたけれど、それもアジア人女性が家政婦的な仕事をしているという偏見からくるマイクロアグレッションだよね。

かわいいに対する感覚は個人史と結びついている

小川 ところで、清田くんはどうしてそこまでかわいいに対して肯定的なの?

清田 子どもの頃からかわいいものに心惹かれるところがあって、その源流はさくらももこ先生の描く世界観だと思っているんだけど、自分もああいうものになりたいという憧れがあった。で、自分でも自分のことをかわいい感じの見た目だと思っていた節があるんだけど……。

小川 それあるよね。かわいいと言われたい人は、自分のことをそもそもかわいいと思っていて、答え合わせをしたい説(笑)。

清田 恥ずかしながらそれは認めつつも、一方で小学生くらいのときから、どうも自分は大人たちからあまりかわいがられないタイプなのかもって思いもあって、それがコンプレックスだったのね。というのも、隣の家に同い年の幼馴染みがいて、そいつは玄っていうんだけど、見た目がちょっと猿っぽくて、性格もピュアな感じで、近所の大人たちからめっちゃかわいがられていた。もちろん俺のこともかわいがってくれていたんだとは思うけど、玄に対するまなざしとの温度差をどこかで感じていて。おそらく、そういう自意識が大人たちに「あざとい」とか「小賢しい」って感じに映っていたんじゃないか……。それが「かわいいコンプレックス」みたいなものにつながっているような気がする。

小川 なるほど。かわいいに対する感覚はその人の歴史と結びついているのかもね。私は逆に大人たちからかわいがられるタイプで、それはおそらく小さいのに無口で愛想がまったくなかったから。小さい頃の写真に、奈良美智さんの描く女の子みたいと言われたことがある。極度の恥ずかしがり屋だったので、話しかけられても返事とかしないんだけど、ちょうどその時期のこけしみたいな見た目と相まって、かわいいとされていた。媚びない子どものかわいさというか。でも、私はそう言われるのがすっごく嫌で。

清田 俺からしたらうらやましさしかない状況だ……。

小川 私の両親は幼児教育の研究者で、娘たちのことをいっさい子ども扱いしない人たちだったのね。うちに出入りしていた大学生も同じように接してくれていたから、対等に扱われるのが普通という感覚が当時から強くあった。だからときどき知らない大人に頭をなでられたりすると、本気で舐められてると感じてムッとした態度を取っていた。

清田 そっか。自分の中に「かわいがられる=舐められている」という感覚はまったくなかったけど、そう考えると確かにさっきのマイクロアグレッションとかにもつながってくるね。

小川 あくまで私の場合は、っていう話だけどね。対等に扱われることを求めていたのに、外見とのギャップで図らずもかわいがられてしまった私と、かわいがられたいと願うがあまり、その態度が小賢しく思われて結果的にかわいがられなかった清田くん。ベクトルは正反対だけど、まわりの大人たちが自分に注ぐまなざしに違和感を抱いていたという点では、どこか共通しているような気もする。

魅力の尺度はもっと多様なはずなのに

小川 恋愛的な文脈で言うと、男の人が女性を肯定的に評価するとき、当たり前のように「かわいい」ってことばが使われるけど、それにも正直引っかかりを感じてしまう。私の見方がねじ曲がってるという可能性もあるけど、魅力の尺度ってもっと多様なはずなのに、どうしてひとつの表現に集約されちゃうんだろうって。

清田 確かに……。男の人が「あの子かわいいよな」みたいなことを言うときの「かわいい」って、捉え方がすごく狭いというか、指し示す範囲が極めて限定的のような気がするね。目が大きくて、顔が小さくて、髪がサラサラしてて、細くて、つるつるしてて、優しそうでふんわりしてて……みたいなイメージの。

小川 いわゆる男ウケしそうな、モテの文脈においてのかわいいだよね。それが女性の“商品価値”みたいに語られることも多い。そういったかわいいにまつわる会話を前にすると、個人的には息苦しいし、もっと言えば、気持ち悪いなと感じてしまう。でも男性たちはかわいいの尺度が狭いなんて自覚はないだろうし、女性の中にもそういうモテを意識している人が一定数いることも確かで、この構造はとても強固だなって感じる。

清田 自分がジャッジする側であることを疑いもしない男の人って本当に多いもんね。とか言ってる俺も、昔つき合っていた恋人に、かわいいかわいいと言いまくって嫌がられたことがある。自分としては本心からベタ褒めしていたつもりだったけど、「キヨタは私の見た目が好きなだけでしょ?」って言われ……。あれはおそらく、俺から勝手なイメージや理想像を押し付けられたことに対する嫌悪感だったのではないか……。

小川 それはつらいね。私もかわいいってことば自体が嫌いなわけではないし、日常生活でも「その服かわいいね」「その髪型かわいいね」とかって普通に使うけど、一方的な押し付けやジャッジメントになっているときに違和感を覚えるような気がする。

清田 よく考えたら、かわいいという尺度で男性がジャッジされる側になることはほとんどない。俺が無邪気に「かわいいって言われたい」とか思えるのは、おそらく自分が男だからだよね……。女性にのしかかっているようなジェンダーの呪縛の外側にいるから吞気でいられるのかもしれない。

小川 そういう部分は確かにあるかもね。でも本当は、私も清田くんのような感覚でかわいいを楽しめたらいいな、とも思う。外からやってくるジャッジメントとしてのかわいいに囚われるのではなく、自分が思うかわいい、自分がこうありたいと思うかわいいを楽しむ、という方向性の。

清田 自分はミュージシャンのCHAIが提唱している「NEOかわいい」という概念にめちゃくちゃ影響を受けたんだけど、それともすごく通じる話だと思う。彼女たちは画一的な基準で判断されがちな美醜の価値観を解体し、かわいさはもっと多様なもので、目が小さくても鼻が低くてもくびれてなくても足が太くても、みんなそれぞれかわいいのだというメッセージを力強く歌い上げていて、その姿が本当にかっこいいのよ。

小川 かわいいということばを自分の手で取り戻して、それぞれが定義づけて、自分のものにしていこうってことだよね。

清田 本当にそう思う。かわいいということばやその使われ方に着目してみることで、日本の文化や美意識などいろんなものが見えてきた気がする。「NEOかわいい」を目指す者として、引き続きかわいい研究を進めていきたいと思います……!

清田隆之

文筆家

恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。
1980年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。これまで1200人以上の恋バナを聞き集め、「恋愛とジェンダー」をテーマにコラムやラジオなどで発信している。著書に『どうして男は恋人より男友達を優先しがちなのか』(イースト・プレス)、『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)、『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』(扶桑社)、澁谷知美さんとの共編著『どうして男はそうなんだろうか会議 いろいろ語り合って見えてきた「これからの男」のこと』(筑摩書房)がある。近著に『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門~暮らしとメディアのモヤモヤ「言語化」通信~』(朝日出版社)、文庫版『よかれと思ってやったのに──男たちの「失敗学」入門』(双葉社)がある。
イラスト/オザキエミ
https://twitter.com/momoyama_radio

小川知子

ライター

1982年、東京生まれ。上智大学比較文化学部卒業。雑誌を中心に、インタビュー、映画評の執筆、コラムの寄稿、翻訳など行う。共著に『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)がある。
https://www.instagram.com/tomokes216
https://twitter.com/tometomato

中村桃子

イラストレーター

1991年、東京生まれ。桑沢デザイン研究所ヴィジュアルデザイン科卒業。グラフィックデザイン事務所を経てイラストレーターにとして活動。装画、雑誌、音楽、アパレルブランドのテキスタイルなど。作品集に『HEAVEN』がある。
https://www.instagram.com/nakamuramomoko_ill/