「恋愛とことば」をテーマにした連載「恋する私の♡日常言語学─Ordinary Language School」。かつてオックスフォード大学で哲学を学ぶ人々を中心に「日常言語の分析が哲学者の中心課題だとする方法意識」という思考のもとうまれた「Ordinary Language School」(日本大百科全書より)。この思考にヒントを得て、数々の恋愛話を傾聴してきた恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表の清田隆之と、『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)の選者も務め、人から話を聞くことを専門とするライターの小川知子が、恋愛においての「ことば」をめぐる諸問題について語り合います。
意中の人や恋人となんだか上手くコミュニケーションが取れなかったり、すれ違いに悩んでいるあなた! その原因は「ことば」にあるかもしれません!
無意識のジェンダー・バイアスを知る
小川知子(以下小川) 今回は私たちの連載の英語版を翻訳してくれている、カリフォルニア在住のクリス・グレゴリーさんをゲストにお招きしています。クリスさんが字幕翻訳を手がけた「贅沢貧乏」や「ままごと」の演劇も何度か観ていたので、翻訳をお願いできるならぜひクリスさんに!と清田くんとの意見が一致したんですよね。
清田隆之(以下清田) 実は以前、早稲田大学のゼミでクリスさんとお会いして立ち話をしたことがあるんです。
クリス・グレゴリー(以下クリス) あ、そうでしたか。よく覚えていなくてすみません(笑)。
小川 クリスさんが翻訳する際に、「無意識で『男女』を『カップル』の代わりに使っているところがあるので、英訳ではLGBTの方を含むような表現にしたいと思います」という指摘をくれたことがありました。ヘテロ基準を内面化して一般的なものとして話をしている自分に気づき、清田くんとハッとしたんです。今回はそういったジェンダー表現や、英語と日本語の違いなどについてお話をうかがえたらと思っています。
清田 僕自身は、色んな人から恋バナを聴くという活動をたまたま大学生の時から始めまして、話しに来る人のほとんどが異性愛者の女性なんですね。彼氏や夫といった男性たちにまつわる話を聞く機会が多く、言葉や振る舞いなどすごくひどいなと思うエピソードがいっぱいあったんです。
クリス それはこの連載で伝わってきました。
清田 そういう経験が積み重なってジェンダーの問題に興味を持つようになったんですが、クリスさんの指摘のように、恋愛ってことばを異性愛前提で使っているときが正直多いかもしれないな、と……。しかもそれに無自覚だったりするのも恐ろしいなと感じたり。
クリス 恐怖を与えようとは思ってませんでした(笑)。
清田 数年前、当時高校生だった女性が恋愛相談に来たことがありました。同じ部活の人に片思いをしていて、好意を伝えたら気まずくなってしまったという悩みだったんですが、話の途中で片思い相手のことを「彼女」と呼んだ瞬間があり、「えっ、女性!?」って思って。でも相談者さんはそのことに特別触れることなく話を進めていて、確かに相手のジェンダーは関係ないよな……と痛感。勝手に相手は男性という前提で話を進めそうになっていた自分にも愕然としました。その人は今20歳くらいになっていると思うのですが、クリスさんも、Z世代によるジェンダー観の変化などは感じたりしますか?
クリス アメリカも日本も変わってきている、とすごく感じます。例えば、僕が初めて日本に来たときは、アメリカでは同性婚は認められていなかったけど、今は(*2015年6月26日、全米で同性婚が認められている)普通のこととしてある。僕自身ゲイなのですが、10代の頃は自分が結婚できるとは思ってもいませんでした。今は結婚していますが、結婚ができるかどうかによって僕の人生はかなり変わったので。
小川 確かに、大きな変化ですよね。
クリス 今のアメリカの若者は、同性愛者も結婚できる前提で人生を送っているわけで、そうなると、自分の性的志向を普通のこととして捉えられるようになってきていると個人的には思います。ここ数年トランスジェンダーの人々への差別や権利問題も話題になっていて、まだいい方向にはいっていません。人々がそれについて話し合うようになりましたし、若い人はカミングアウトしやすい状況にはなりましたが、残念ながら最近州レベルでトランスジェンダーの人々を差別する法律がいくつか成立されました。希望としては、それらの法律は一つの段階であり、その反発が終わったらトランスジェンダーの人に対する待遇も改善されればいいと思っています。
一般化された「男女の問題」という意識
小川 vol.9「「生理のシスターフッド」と男性たちの無理解」の回でも、「トランス男性ならば生理の経験はあるので、厳密にいうと生理は“女だけにわかる”問題ではない」とクリスさんに指摘をいただいて、本当にその通りだなと思って反省しました。他にも引っかかりを感じる表現とかってありましたか?
クリス 僕自身ジェンダーやセクシュアリティをめぐる会話にある程度慣れているところもあるし、同時にそういう問題に割と敏感な方かもしれません。それを踏まえて言うと、これはこの連載に限った話ではなく日本語の一般的な問題としてですが、多くの人は恋愛問題のことを、別に悪意があるわけではなく「男女の問題」と表現しますよね。でも、それをそのまま英語に翻訳してしまうと、とても古く聞こえると思います。
小川 恋愛のあれこれを男女のものとわざわざ表現することが古臭い、というわけですね。
クリス そうそう。日本の考え方が古いというわけではなく、たまたま「男女の問題」という一般的な表現があるからみんながそれを使っている。でも英語では「男女の問題」という言い方はそもそもしないわけです。英語でもその表現が一般的に使われていたら、同じような現象が起こっていると思います。
清田 なるほど。
クリス 僕の場合、「男女の問題」という日本語の表現は、頭の中で「恋愛問題」と変換します。そういう表現を聞いたからといって、その人が同性愛者やバイセクシャルな人に対して悪意を持っているとは思いません。
清田 でも、異性愛がマジョリティという状況は日本とアメリカでそんなに変わらないかもしれないのに、恋愛のいざこざのような問題を、英語では「男女の問題」とは表現しない点が興味深いなと感じました。
クリス しようとすればできますが、頻繁に使われている表現としてはないです。
小川 日本では男と女という漢字はペアとして使いがちですが、英語はそうではないですもんね。
クリス でも、英語でも恋愛を異性愛前提で話すことはよくあって、同性愛者やバイセクシャルの人で気にする人もいるし、気にしない人もいます。僕は個人的には悪意を感じない限り気にしませんが、翻訳者として同性愛やトランスを排除するかもしれない表現が気になったのは、この連載がジェンダーをテーマにしているからです。そうでなければ、あまり気にならなかったかもしれない。
小川 そうですね。清田くんと私がただただ恋愛トークしているだけならまだしも、ジェンダーをトピックにしているのに想像力が足りないのは確かによくない。
クリス そういう話題を英語にしたときに、悪意があるように読まれてしまう可能性があると思い、でもお二人にはそういう意図はないと感じたので、ちょっと書き直したほうが本来の意図に近づくのではないかと思ったんです。
ことばではなく文化が曖昧を好む!?
清田 恋愛やジェンダーに加え、この連載は「ことば」もメインテーマのひとつなんですが、日本語は曖昧で多義的、色んな意味が含まれていてハイコンテクストだよねという話をよくしています。空気を読み合う会話スタイルにも問題意識を持っていて、そうではなく、面倒で野暮かもしれないけどなるべくことばの意味を明確にしながらコミュニケーションしていくほうがいいのではないかと思っていて。英語圏の会話はどちらかと言うとローコンテクストなのではないかと勝手にイメージしているのですが、クリスさんはどう思いますか?
クリス 確かに、日本には空気を読む文化が間違いなくあると思います。でも、日本語という言語の特徴が本当に曖昧なのかどうかはちょっと疑問です。これについては英語でも日本語でもうまく説明できませんけど。
清田 空気を読む文化はどう感じていました?
クリス 正直面倒くさいですね(笑)。僕は割と鈍感なほうなので直接的にハッキリ言ってほしいですが、これは言語の問題というより文化の特徴ではないかと思います。曖昧ではない言い方も日本語にもあるわけで。
小川 例えば日本語で話していると、主語が必要なかったりすることもあって、お互い空気を読んで「言わなくてもわかるよね」という前提でいても、実は話している内容の認識がズレていることが多々あると思うんです。それでうまくいくこともあるけど、違いをハッキリさせないまま、モヤモヤしつつも目をつぶって流してしまうことも多いなって。
クリス 僕は英語の専門家ではないですが、英語でも二人とも同じ話題だと思い込んでるけど実は全然違う話をしていることはあるし、主語があったとしても同じような状況は別のかたちで起こります。
小川 相手に汲み取ってもらうような曖昧な表現が日本語には多いような気がしていたけれど、使っている人の意識でそういうことばをチョイスしているだけかもしれないですね。文化と言語は切り離せないものだとも思うけれど。
清田 例えば、vol.1「「好き」って一体どんな気持ち?」では、日本語の「好き」は、色んな意味が含まれすぎていて、本当は一人ひとり思い浮かべているものや意味しているものは違うかもしれないのに、その一つのことばでやり取りしているのはよく考えたら不思議だね、という話が出ました。
クリス これも同じく、言語というよりは文化の問題ではないのかなと感じました。愛情の「好き」を英語に翻訳すると、やっぱり「like」か「love」のどちらかになってしまうケースが圧倒的に多いと思いますし、好意や愛情を表現することばのバリエーションが日本語には少ないというのも、読み手としては賛成できませんでした。
小川 今振り返ってみると、感情のレベルや方向性を比較できるといいよねということを言いたかったんだと思います。日本語、英語どちらの表現も知っていれば、今の気持ちはこちら側に近いと考えることができる。もしかしたら、日本語よりも英語のほうが素直に感情を置き換えられるようなところが私にはあるのかもしれないです。なぜなら、日本語より英語のほうが素直に言わないと伝わらないという思いがあるから。
クリス それは確かにそうですね。
小川 より素直な感情に置き換えてこっちに近いと整理していくと楽になるということはあっても、だからって、英語はストレート、日本語は多義的な性質と言い切ってしまうのは違うのかもしれない。同じ言語であっても、言い換えてみたりすることがポイントなのかな。それによって分析できるというか。
清田 言い換えるのも翻訳的な作業だもんね。ひとつの事象を複数の角度から眺めてみたり、そのことばが相手にどう聞こえるかを別のチャンネルで想像してみたり。そういう行為を通して発見することってたくさんある気がする。ことば使いの精度や繊細さを磨いていきながら引き続き「日常言語学」を続けていきましょう。クリスさん、どうもありがとうございました。翻訳のほうでも引き続きよろしくお願いします!
翻訳者。主に舞台芸術の分野で活動中。矢内原美邦、柴幸男、神里雄大(共訳)、木ノ下歌舞伎、山本卓卓、三浦直之、山田由梨、額田大志等々の英字幕用翻訳などを担当。他に、写真家森栄喜のフォトエッセイ『A Letter to My Son』やサウンドアーティスト大和田俊の個展『破裂 OK ひろがり』のカタログの翻訳も手がけている。