森岡書店代表の森岡督行さんが、銀座の過去、現在、そして未来をつなげる新しい物語です。
時の人々が集い、数々のドラマが生まれた銀座には、今もその香りが漂っています。1964年頃に銀座を撮り続けていた写真家・伊藤昊さんの写真とともに、銀座の街を旅してみましょう。
Ⅹ ソニーパークと東京大自然説
台風10号が去った9月7日の夜、丸の内線の銀座駅に向かって歩いていた私は、銀座ソニーパーク(*1)の「植物園」に立ち寄りました。台風が去って、まるで熱帯のような湿度と暑さのなか、「植物園」のベンチに腰かけると、かすかに虫の音が聞こえました。振り返れば、銀座メゾンエルメス(*2) のガラスの建築が輝いています。そのコントラストに、私は「東京大自然説」を思いました。「東京大自然説」とは以下のようなものです。
私は「銀座」で仕事をしており、この街を日々見つめていますが、この大都会であっても空き地ができれば、いつのまにか草が茂っています。絵本作家の舘野鴻さんは、銀座の路上に自生している「のびる」を見つけ、水道水で洗って食べていました。今年の夏は、ドアを開けて営業していたので、何度も室内に虫が入ってきました。
港区三田で、コンクリートのビルを自力で建設している岡啓輔さんによれば、「コンクリートは石灰石の化学変化で、その歴史は古く、古代ローマのコロッセウムもコンクリートで出来ている」。「東京のコンクリートの多くは、埼玉県で産出された土でできている」とのことです。
ガラスの原料は、珪石(けいせき)と石灰石ですし、鋼鉄は鉄鉱石、アスファルトは化石燃料です。もとはといえば、どれも天然由来なものばかり。首都高速道路の橋桁は錆びているところがありますし、地下鉄のコンクリートの一部は水で浸食されているように見えます。
これらのことを総合すると、東京の景色が違って見えてきます。すなわち、東京の都心を、コンクリートで覆われた、広大な岩場と考えてみはどうでしょう。土こそ見えないが、天然由来の資源がかたちを変えて都市を構成し、年季の入った構造体から、徐々に、自然に還ろうとしている。まさにコンクリートジャングルとしての東京。万物資生としての銀座。
ところで、作家の橋本治さんは、かつて、日本人は、縄文系と弥生系に分けられると話していました。大まかにいえば、縄文系は狩猟採集で移動、弥生系は農耕で定住。近年は、デジタルメディアの発達もあり、フリーランスとして働く人が増えてきました。これは縄文系のあり方を志向する人々と考えられます。フリーランスはじっとしていては仕事がなく、仕事を獲ってこなくてはなりません。東京という巨大な岩場で、現代の縄文人たるフリーランスの人々が狩猟をしている。そんなイメージも立ち上がります。
暑く湿った風の吹く銀座ソニーパークで樹木に覆われた私の頭の中には、このイメージが、増幅されて、浮かんできました。
銀座ソニーパークの前、数寄屋橋を走る首都高速道路は、2040年頃までに撤去されることが発表されています。おそらく、そこには、かつての水辺や緑が復活するのではないでしょうか。もしそうなら、銀座ソニーパークのコンクリートと植物の光景は、銀座の未来の一端を、確かに示しています。古いものが新しく見えたときほど、新しいものはありません。
中央区銀座5-3-1
*2 銀座メゾンエルメス/建築家レンゾ・ピアノによるガラスブロックを使った外観は銀座の目印でもある。2001年竣工。地下1階から4階はエルメス銀座店のフロア、8階はアート・ギャラリー「フォーラム」、10階は予約制のミニシアター「ル・ステュディオ」。
中央区銀座5-4-1