『花椿』2020年夏・秋合併号で「銀座と資生堂の物語」をテーマに銀座について考察を深めた森岡書店代表の森岡督行さんが、書籍や出来事を通して過去の銀座と現在、そして未来の銀座をつなげる新しい銀座物語です。
時の人々が集い、数々のドラマが生まれた銀座には、今もその香りが漂っています。1964年頃に銀座を撮り続けていた写真家・伊藤昊さんの写真とともに、銀座の街を旅してみましょう。
Ⅴ:はち巻岡田の味
私はいま「銀座」について連載しているので、東京生まれのように見えるかもしれませんが、実際は、山形県寒河江市で生まれました。月山や蔵王といった山に囲まれ、寒河江川という川が流れる地域です。
そのことを、つくづく自覚するのは、銀座3丁目松屋銀座の裏にある「はち巻岡田」(*)を訪れるときです。名物の粟麩田楽と、子供のころ食べた田楽の味が重なります。田楽の日は、朝から火鉢を用意したり、味噌に混ぜる胡麻をすったりしました。もし、子供のころに戻れるテクノロジーが開発されたら、私は、この日を候補に挙げます。
初夏の「はち巻岡田」では、炭火焼の鮎を味わうことができます。私にとって鮎といえば、寒河江川の鮎です。ヤス(モリ)を右手に持ち、深みに潜り、左手で岩を摑んで身体を安定させ、岩の合間にいる鮎を突き、それを中州で焼いて食べていました。「はち巻岡田」の鮎は、その香ばしい鮎を思い出させてくれます。銀座で働いていても、野趣の風味が身近にあったりします。食で四季を感じられるのは幸せです。
とは言っても、「はち巻岡田」の真骨頂は江戸料理です。1916年(大正5年)に初代・岡田庄次氏が創業。玄関の暖簾はよく知られていて、右から順に、川口松太郎の冬の句、久保田万太郎の春の句、里見弴が揮毫(きごう)の「舌上美」、さらに久米正雄(三汀)の夏の句、小島政二郎の秋の句、と続きます。もちろんどの句も、「はち巻岡田」の料理を詠んだものです。例えば、久米正雄(三汀)は、次のように詠んでいます。
夏の夜を浅き香に立て岡田椀
岡田椀とは、生姜の風味豊かな鶏のスープです。あっさりしているので、喉にひっかかることなく、確かに夏の夜にぴったり。ごはんを入れてお茶漬け風にしてもらうのも美味しいです。これを最後の〆にいただくと、また味わいに来たくなります。どのうつわも派手さが無く、お料理と静かに調和しています。もしかしたら、それも江戸料理らしさのひとつかもしれません。
映画監督の小津安二郎も何度か足を運んだそうです。そう言われると、正面から見たお店の佇まいは、背景に障子があり、遠近感もあり、どこか小津の映画の舞台のようです。小津には『お茶漬の味』という映画作品があり、ご自身もお茶漬けが好きだったそうです。小津も岡田椀のお茶漬け仕立てを味わったと思うのですが、真相はどうでしょうか。
暖簾をくぐると初代・岡田庄次氏の写真があります。庄次氏はもともと船大工の家に生まれました。料理に関しては素人だったので、勉強を重ね、夢中で働いたといいます。きっと働くことが楽しかったのではないでしょうか。その喜びが、さまざまな文化人にも伝わった。写真に写った飾り気ない笑顔を見たときそう感じました。