石内都は自然光で写真を撮ることを信条としていますが、これまで撮影するとき、雨が降ったことはなかったといいます。いわゆる「晴れ女」を自認していて、天気に関して心配していませんでした。しかし、撮影当日の天候は朝から雨。晴れ間が見えるどころか、徐々に大雨になっていったのです。撮影するときに光がどれくらいあるかは、写真のイメージを左右する大切な要素です。銀座の空を分厚くおおう雨雲を見た私はこう思いました。「晴れてほしい」と。
そんななか、「蛸引き包丁」を携えた銀座 寿司幸本店の杉山衛さんが、撮影場所の資生堂銀座ビルに来てくださいました。寿司幸本店は銀座6丁目外堀通りの西側、資生堂銀座ビルは銀座7丁目外濠通りの東側。こちらから取りにうかがいたいと申し出ましたが、「ものがものだから」と、雨のなか運んでくださいました。「蛸引き包丁」はあまり聞き慣れない名前ですが、寿司幸本店では、明治18年に創業したときから、交換しつつ、使い続けている包丁です。刺身を切る際に刃を往復すると素材の切断面が傷み、光沢がなくなってしまいます。そのため「蛸引き包丁」は、一方向に引き切ることができるよう刃渡りが長くなっています。杉山衛さんは寿司幸の4代目にあたります。「蛸引き包丁」は130年以上の長きにわたって寿司幸本店の寿司の美しさを支えてきました。
杉山さんによると、かつての寿司屋は、年末年始に休む程度で、あとはずっとお客様を迎えていたそうです。しかし例外があって、それは大雨が降り続いたとき。往時の魚河岸は土間だったので雨が降るとぬかるみになり、そのため取引が中止になる。お魚の仕入れがなくなる寿司屋も自ずと休みになるというわけで。
考えてみれば、一つの寿司の背後には、たくさんの道具があります。「蛸引き包丁」も寿司の善し悪しを左右する大切な道具ですが、なかなか日の目をみない道具でもあります。現代の寿司幸本店は雨だからといって休みにはなりません。しかし、本来的に現場から包丁を手放してもよい日といえば、それは雨の日となるのではないでしょうか。石内の撮った写真を見ると、雨雲を通した光が、刃に反射したのは確かなこと。写真には、この日だけは、晴れて、主役になった「蛸引き包丁」の姿がありました。
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銀座にまつわるさまざまなモノから見えてくる、銀座の、石内さんの、そしてあなたの物語です。