この写真を見ていると、香水瓶なのに、どこか、ひとりの人の姿のように見えてきます。いったい誰でしょうかね。私なら、この香水瓶を世に送り出した人、福原信三と答えたくなります。信三がこの香水瓶、つまり「香水 花椿」を売りに出したのは1917年。今から100年以上もむかし。資生堂初の本格的香水でした。信三は、持てる力のすべてを投入したのではないでしょうか。時を超えて、写真の彼方から、そのときの気持ちが伝わってきます。
そもそも椿の花には、特殊な園芸品種を除いて、人間が感じとれるほどの芳香はないそうです。しかがって「香水 花椿」(*)は椿の香りをイメージして創作されました。この香水瓶の要は、下部に配置された椿の資生堂のマークでしょう。現在は馴染みのあるマークですが、当時はまだ、前年の1916年に生まれたばかり。信三のスケッチをもとにがデザインされました。結婚前の夫人と共に、椿の花と葉を水盤に浮かべて描いたとされています。椿を基調にした理由は、「香油花椿」という髪油が人気を博していたことや、信三が椿の花が好きだったこと、それに、その花に女性らしさが感じられるから。椿の花言葉は「理想の愛」。もしかしたら、信三はこの花言葉から香りをイメージした。そんなふうに考えたくもなります。
一方、石内都は、資生堂に縁があり、銀座で二つの写真展を開催しています。一つは、2005年のハウス オブ シセイドウでの「永遠なる薔薇 — 石内 都の写真と共に」。この展覧会で石内は、香水の原料にも用いられる薔薇を、生きようとするものの最期の姿として、また再生する姿として、その美しさをマチエールにしました。あたかも皮膚のように。
もう一つは、2016年の資生堂ギャラリーでの「石内都展 Frida is」。この展覧会では、フリーダ・カーロの遺品を写した写真を展示しました。遺品にそっと触れるようなシリーズは、彼女の『愛と痛み』に少しでも近づく試みと言っていいでしょう。遺品のなかには薬のガラス瓶もありました。
もちろん、信三には資生堂の社長という顔の他に、写真家という顔がありました。信三は、自らの美意識を、商品や写真にして伝えようとしたのです。この香水瓶はその最たるものでしょう。写真の彼方から伝わってきた気持ちとは、信三の残した「商品をしてすべてを語らしめよ」という哲学。すなわち、100年以上の時間に左右されないデザイン。この哲学は、資生堂だけでなく、銀座の繊細な仕事にも通じているようです。
銀座にまつわるさまざまなモノから見えてくる、銀座の、石内さんの、そしてあなたの物語です。