森岡書店代表の森岡督行さんが、銀座の過去、現在、そして未来をつなげる新しい物語です。時の人々が集い、数々のドラマが生まれた銀座には、今もその香りが漂っています。1964年頃に銀座を撮り続けていた写真家・伊藤昊さんの写真とともに、銀座の街を旅してみましょう。
XLVII:単純と反復
「現代銀座考」として銀座のことを書くのは今回で最後になりました。2年にわたる連載を読んでいただき誠にありがとうございます。最後は「銀座」での「出会い」について書いてみようと思います。
坂本龍一さんと出会ったのは、森岡書店と同じ通りにある音響ハウスの前でした。坂本龍一さんは、音響ハウスから出られて、タクシーに乗ろうとしていました。私は坂本龍一さんのファンなので「あ、坂本さん」となって、遠くを見るように、タクシーのなかの坂本龍一さんが小さくなっていくのを眺めていました。その間、1分くらい。タクシーが角を曲がると、私も、森岡書店に戻りました。
そのタクシーが森岡書店の前に停車し、坂本龍一さんが入ってきたときには驚きました。実は、森岡書店の開店準備をしているとき、ずっと『戦場のメリークリスマス』のサントラを聞いて作業していたのです。はじめて坂本龍一さんと言葉を交わしました。「坂本さんがかつて出版を計画していた本を自分がつくりたいです」と。坂本龍一さんは、そのとき販売していた東野翠れんさんの写真集を買ってくださりました。
杉本博司さんとはじめて出会ったのは、神保町の古本屋に勤務していた2003年でした。売り出し中の鎌倉時代の似絵の一つ『駿牛図』を杉本博司さんが見に来てくださったとき。『駿牛図』の価格は、8000万円。私は店頭に立っていただけでしたが、最初に『駿牛図』を見に来てくださったお客さんとして、社長に連絡したことを覚えています。それから月日が経った2018年、杉本博司さんのご自宅で、杉本博司さんが蒐集した戦時中の物品を見せていただく機会を得ました。その数々を目のあたりにした私は、こう思いました。「杉本さんはものを通して、先の戦争が起こった原因と敗戦の原因に迫ろうとしている」これがきっかけになり、杉本さんに先の戦争について聞く会が実現しました。場所は、銀座の鈴木ビル内の劇場跡地。僭越ながら自分が聞き役を務めさせていただきました。戦争を止められなかった運命が、時を超えて、声に宿った瞬間に立ち会えました。
三谷龍二さんとはじめて出会ったのは、六本木の21_21 DESIGN SIGHTでした。私は、昭和28~29年当時を撮影した『銀座八丁』を広げ、その写真に写っていて、かつ現存するお店で買った「雑貨」を陳列していました。そのなかに松屋銀座で求めた三谷カップがありました。三谷カップは、文字通り、三谷龍二さんがデザインしたシンプルな白い磁器のカップ。展示を見に来てくださった三谷龍二さんと、それを介して、話をすることができました。その後、三谷龍二さんの著書の『すぐそばの工芸』と『1981 - 2021 木工房の40年』を森岡書店で販売することが実現。私は、三谷さんの木工の仕事を以下のように理解していて、これからより大切になっていくと思っています。「道具が、長い間ともにあるうちに、家族や自分の思い出がつまった大事なものになる。それが、アパートやマンションのふつうの暮らしを少しでも豊かにする。繰り返し使うことで、無意識に磨きあげられた美しさを持つ」
銀座で生じたご縁から、不思議なことが起きました。2019年10月20日。マンハッタンにいた私は、昼、三谷龍二さんと会いました。夕方、杉本博司さんと会いました。夜、坂本龍一さんと会いました。マンハッタンでのこの出来事は忘れられません。
この日の経験から、三人には、音楽、写真、工芸とジャンルは違えども、共通する特徴があることが見えてきました。私は、それを「単純と反復」という言葉で捉えています。ここから、日本の文化を反射して見ていくことも可能なのではないかと、すこし大袈裟ですが、思ったりしています。その際、「単純と反復」を、どこか街に対応して考察するなら、もっともふさわしいのは、やはり銀座となります。「単純」とは、引いてものの本質を表現すること。「反復」とは、小さな差異を可視化すること。そんなふうに定義することが許されるのであれば、お鮨にしても、天麩羅にしても、洋食にしても、テイラーにしても、バーにしても、きっと「銀座の」となるから。
そう思って今日もまた銀座を歩いてみようと思います。「単純と反復」。人に出会っては、自分に回ってきた仕事を大事にしつつ。またお会いしましょう。さようなら。