森岡書店代表の森岡督行さんが、銀座の過去、現在、そして未来をつなげる新しい物語です。時の人々が集い、数々のドラマが生まれた銀座には、今もその香りが漂っています。1964年頃に銀座を撮り続けていた写真家・伊藤昊さんの写真とともに、銀座の街を旅してみましょう。
現代銀座考 : XLIII
銀座と啄木の一考察
立春を1日過ぎた今年2月5日、銀座6丁目並木通りハイアット
セントリック 銀座 東京の「NAMIKI667」(*)に着席した私は、石川啄木『新編 硺木詩集』(岩波文庫)を鞄から出しました。
ハイアット セントリック 銀座 東京の前には、石川啄木の碑があり、啄木が、明治42年から明治45年まで(1909年~1912年)、すなわち26歳でこの世を去るまでの3年間、ここにあった東京朝日新聞で校正係と記者をしていたことを伝えています。碑には以下の詩が刻まれています。
「京橋の瀧山町の 新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな」
当時ハイアット セントリック 銀座 東京あたりは滝山町という地名でした。もしかしたら、啄木は、他にも銀座の詩を詠んだかもしれない。詠んでいたら、それは、どんなことばなのだろう。そう考えた私は、啄木が仕事をした場所で、それを探してみようと思ったのでした。かくして、ハイボールを傾けながらページを開いてみると、もうひとつ、銀座の詩をみつけました。
「春の雪 銀座の裏の三階の煉瓦造に やはらかに降る」
この詩の要は、「やはらかに」、という一語にあると言ってよいでしょう。「やはらかに」ということばには、銀座の街に白い雪が舞う光景と共に、銀座の街に親しんだ啄木の気持ちがあらわれているようです。
しかし、掲載されている詩の多くは、暗く悲しいものばかりでした。啄木は、借金で生活していたことが知られていますが、それを映し出すような詩も。
「何故かうかとなさけなくなり、弱い心を何度も叱り、金かりに行く。」
或いは、肺病の影が忍びよる詩が数多く掲載されています。
「呼吸(いき)すれば、胸の中にて鳴る音あり。凩(こがらし)よりもさびしきその音!」
「晴れし日のかなしみ一つ! 病室の窓にもたれて 煙草を味(あじは)ふ。」
「買いおきし 薬つきたる朝に来し 友のなさけの為替のかなしさ」
或いは、先の銀座の雪の詩には初出があり、「やはらかに」の部分は、当初、別のことばがあてられていました。
「春の雪 滝山町の裏の三階の煉瓦造に よこさまに降る」
「やはらかに」と「よこさまに」では印象がずいぶん違います。啄木は、途中で、ことばを変えていたのです。なぜ変えたのか。その理由は詩集を読んだだけではわかりませんでした。ただ、私は、銀座で仕事をしていたときには、何か「やはらか」な安らぎのようなものが、きっと啄木にもあったのだろう、と思うことにしました。少なくとも、本当に少なくとも、碑の詩からは、盛況な新聞社の玄関から、さっそうと並木通りに出る啄木の姿が浮かび上がります。
2月5日はとても寒い一日でした。ひとしきり詩集を読み終えて、ハイアット セントリック銀座 東京の玄関から出ると、あろうことか、並木通りに白い雪が舞っていました。
ハイアット セントリック 銀座 東京の3Fフロアにあるオールデイダイニング。朝食、ランチ、ディナーを楽しむことができる。
東京都中央区銀座6-6-7