森岡書店代表の森岡督行さんが、銀座の過去、現在、そして未来をつなげる新しい物語です。時の人々が集い、数々のドラマが生まれた銀座には、今もその香りが漂っています。1964年頃に銀座を撮り続けていた写真家・伊藤昊さんの写真とともに、銀座の街を旅してみましょう。
現代銀座考 : XXXVIII
銀座と雑貨
以前、21_21 DESIGN SIGHTで開催された「雑貨展」にて、私は、『銀座八丁』(木村荘八編著『銀座界隈』の別冊)を用いた展示を行いました。『銀座八丁』は、1953年から1954年にかけて、中央通りの東側と西側を撮影したアルバムです。蛇腹になっていて、伸ばすと、4メートルくらいになります。それをテーブルの真ん中に広げ、例えば、伊東屋や松屋銀座、三越、鳩居堂、教文館など、アルバムに写っていて、かつ、現在もそこにあるお店で「雑貨」を買ってテーブルに並べました。
また、このアルバムには、1921年(震災前)、1930年(震災後)、1942年(戦災前)と3つの時期に分けて、かつてその場所にあったお店の名前が印字されています。例えば、銀座7丁目西側のとらや銀座店(*現在休業中)の場所なら、「レストラン・コリドー、茶舗宇治園、吉田毛織物展」というように。そして、そのなかには、8軒もの「雑貨店」がありました。伊東屋で虫眼鏡を5つ求めて、アルバムの上に置き、銀座の「雑貨店」を探してもらうような展示を行いました。
数ある雑貨店のなかでもとりわけ気になったのが「江戸屋外人雑貨店」です。アルバムの写真には「江戸屋」という看板が写っています。このお店は、銀座4丁目の三越の隣、現在の銀座いさみやの場所にあったようです。名前からして「何を売っていたのだろう」と思わざるを得ません。もしかしたら、京橋図書館の画像データを検索すれば何かわかるかもしれないと思った私は、スマホで検索してみました。すると、「江戸屋」というお店の写真がすぐに出てきました。写真をよく見ると「干しブドウ」「バター」「チーズ」「ソーセージ」を販売していたようです。スマホを片手に、銀座いさみやの前に立ってみると「この場所にはかつてこのようなお店があったのか」と、目の前の風景が違って見えるような気がしました。
ところで、最近知ったのですが、杉本博司さんは、「海景」シリーズの撮影で外国の僻地に1カ月ほど行くとき、白米に梅干しと海苔をもっていくという、江戸時代のような旅行スタイルだったそうです。そして、そこには、とらやの羊羹「夜の梅」もありました。しかも、これは一粒で二度おいしい。というのも、「海景」シリーズで夜の海を撮影するとき、露出計の役割を果たしたのです。「小豆の粒のある切り口が見えなくなる寸前が撮影のタイミングで、一日の最後の残り日、切り口が見えるか見えないかの光のときに、最高のトーンが出る」と。もしこのことを「雑貨展」を準備しているときに知っていたなら、私は、迷わず「夜の梅」をテーブルに並べたことでしょう。そして、「なぜ、羊羹が雑貨なのですか」と質問されるのを待ったことでしょう。
「雑貨」というワードがいつから日本語にできたのか定かではありませんが、もしかしたら、銀座が「雑貨」の伝播基地になったのではないかというイメージが、アルバムを開いて広がりました。