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現代銀座考

現代銀座考 : XXXIX 和田誠の銀座の一側面

2021.12.09

写真/伊藤昊

文、イラスト/森岡督行

森岡書店代表の森岡督行さんが、銀座の過去、現在、そして未来をつなげる新しい物語です。時の人々が集い、数々のドラマが生まれた銀座には、今もその香りが漂っています。1964年頃に銀座を撮り続けていた写真家・伊藤昊さんの写真とともに、銀座の街を旅してみましょう。

 

 

1964年の昼時の銀座。ライト・パブリシティを創業した信田富夫は日本工房で働いていただが、戦前期、日本工房がこのビル(徳田ビル)に入居していた時期があった。

現代銀座考 : XXXIX 

和田誠の銀座の一側面

 東京オペラシティ アートギャラリーで開催されている和田誠展を見に行ってきました。和田誠さん(*1)は、著書に『銀座界隈ドキドキの日々』(文春文庫)があるように、銀座に馴染み深く、大学を卒業した1959年から68年までの9年間、銀座にあるデザイン会社、ライトパブリシティに勤務していました。1963年頃のライトパブリシティは、銀座7丁目電通通りのニューギンザビル(現存)に入居していました。例えば、「銀座 ウエスト」で、寺山修司とコーヒーを飲みながら会話をしている記述があったり、壱番館洋服店の玄関のイラストを描いていたり、和田誠さんは、銀座のなかでも、電通通りをよく歩いていたと考えられます。

 展覧会では「銀座」につながる仕事もいくつか見ることができました。例えば、資生堂石鹸のポスターには、駱駝の背にロングヘアの女性がひとり乗り、砂漠のなかをどこかに向かっているイラストが描かれています。「汗が待ってるポトラッチ――贈りましょう」というコピーも印字されています。ポトラッチとは、アメリカインディアンの言葉で「贈与」という意味です。このイラストとコピーには、和田誠さんたち制作チームの独自の見解があるように思います。汗という文字がもつイメージ。水分を吸収する砂漠のイメージ。コンセプトを説明するため、ラフを抱えて、銀座7丁目並木通りの資生堂に向かう和田誠さんの姿が浮かんできました。

 また、銀座を通る都電が、1967年12月9日に廃止になる際には、ライトパブリシティのコーピーライターの秋山晶さんと組み、キヤノンの新聞広告で都電へのオマージュを込めた作品を発表しました。1903年(明治36年)に鉄道馬車を引き継いで誕生し、関東大震災のときは、人々が、復旧した最初の電車を歓声をあげて見送ったことや、戦後の見渡す限りの焦土のなかをを一日も休まなかった交通機関だったことに触れ、車社会の到来が述べられています。
 2009年にggg(*2)で開催された「銀座界隈隈ガヤガヤ青春ショー」のポスターを見ると、同展は、灘本唯人・宇野亜喜良・和田誠・横尾忠則の4人で行われたことがわかります。このポスターの背景として『銀座界隈ドキドキの日々』に、以下の記述がありました。「デザインセンターは銀座の東側、ライトは銀座の西側にあって、昼飯どきはまん中へんのレストランや喫茶店で社員同士よく出会った。デザインセンターの若手には宇野亜喜良さんや横尾忠則君がいて、とりわけこの二人に昼飯どきに会うのが嬉しかった。ぼくたちは当時はみなデザイナーとして仕事をしていたわけだが、イラストレーターでもあり、イラストレーターという職業があることを世の中にもっと知らせたいという夢を持っていた」

 オペラシティの展覧会を見ての感想は、それにしても膨大な量の仕事だということです。『週刊文春』の表紙は40年の長きにわたって描かれました。ポスターにしても絵本にしても装丁にしても、そのひとつひとつがカッコ良く、きっと和田さんはいつも楽しんで仕事をしていたのではないでしょうか。和田誠さんは、銀座について以下のように述べます。「銀座に詳しくはならなかったけど、何げなく出会った人たちが、それぞれ優れた仕事をしている。ぼくはその人たちに教えられ、影響を受けて、おかげで交友の上でも仕事の上でも行動半径がずいぶん拡がった。ぼくのドキドキの日々は、豊で幸せな日々でもあった」。もしなぜ和田誠さんが、このような仕事を残すことができたかを問われたなら、「銀座」で働いていたからと答えたくなります。

*1/和田誠 1936年生まれ。グラフィックデザイナー、イラストレーター。多摩美術大学卒業後、ライトパブリシティに入社。68年からフリー。77年より『週刊文春』の表紙を担当。84年、映画「麻雀放浪記」を初監督。全部で4本の長篇映画を監督。89年ブルーリボン賞監督賞、94年菊池寛賞、98年毎日デザイン賞、2015年日本漫画家協会賞特別賞ほか、受賞多数。出版した書籍は200冊を超える。2019年逝去。

*2/ ggg  ギンザ・グラフィック・ギャラリー(ginza graphic gallery)は、グラフィックデザインの専門ギャラリーとして3つのgの頭文字から「スリー・ジー(ggg)」の愛称で親しまれている。1986年、グラフィックデザインと密接なかかわりをもつ大日本印刷株式会社が設立。

 

クリエイターの紹介

伊藤 昊

写真家

いとう・こう 1943年大阪府生まれ。生後まもなく、両親と共に父親の実家のある宮城県涌谷町に疎開。6年生のときに、京都太秦の小学校に単身で転校。1955年に東京の明治学院中学校に入学。1961年に東京綜合写真専門学校に入学。1963年に卒業後、同校の教務部に就職。この頃に写真展を2度開催する。1968年に同校を退職し、フリーのカメラマンとなる。1978年に益子に移住し、塚本製陶所の研修生となる。1981年に築窯し陶芸家として独立。その後は晩年まで陶芸家として活動する。2015年に逝去。
5月5日に写真集『GINZA TOKYO 1964』が森岡書店より刊行された。
https://soken.moriokashoten.com/items/2dabee933141

森岡 督行

店主

森岡書店主。森岡書店代表。1974年山形県生まれ。著書に『荒野の古本屋』(晶文社)、『BOOKS ON JAPAN 1931-1972』(ビー・エヌ・エヌ新社)などがある。企画協力した展覧会に「そばにいる工芸」(資生堂ギャラリー)、「畏敬と工芸」(山形ビエンナーレ)などがある。近年は洋服などのプロデュースを手がけることも多い。株式会社森岡書店代表。『工芸青花』(新潮社)のウェブサイトにて「森岡書店日記」を連載中。

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