森岡書店代表の森岡督行さんが、銀座の過去、現在、そして未来をつなげる新しい物語です。時の人々が集い、数々のドラマが生まれた銀座には、今もその香りが漂っています。1964年頃に銀座を撮り続けていた写真家・伊藤昊さんの写真とともに、銀座の街を旅してみましょう。
現代銀座考 : XXXI 小泉八雲と大和屋シャツ店
先日、松江市の小泉八雲記念館を訪ねたとき、八雲(*1)が着ていた洋服が展示されていました。解説文には、八雲は洋服に無頓着だったが、シャツにはこだわりがあり、わざわざ横浜の「大和屋シャツ店」で誂えていたと書いてありました。私は、この解説を読んだとき、あっ、となりました。横浜の「大和屋シャツ店」とは、後に銀座に移転した「大和屋シャツ店」ではないかと。タグを見ることができればよかったのですが、かげになっていて、確認できませんでした。
そこで、銀座6丁目の「大和屋シャツ店」(*2)にうかがい、顧客リストに小泉八雲の名前があるかどうかを尋ねてみました。6代目社長の石川成実さんが対応してくださり、大和屋シャツ店が1876年(明治9年)に横浜で創業したことや、当時の顧客の多くが、在留外国人だったことを教えてもらいました。そして、次のように教えてくださりました。「小泉八雲の妻の、小泉セツさんが来ていたようだ」「つくっていたのは白のレギュラーカラーだったかもしれない」と。
八雲がアメリカから汽船で横浜港に到着したのは、1890年(明治23年)の4月4日でした。その後、八雲は、横浜新橋間の鉄道を使って東京に移動したと考えられます。ところで、1890年ごろ、新橋駅前の光景とはどのようなものだったのでしょうか。駅舎を出て左に折れて、右側にかかる新橋を渡ると、そこが、現在の中央通り。当時の通りを描いた錦絵を見ると、両側には、桜の木が植えられています。八雲が到着したのは4月4日だから、もしかしたら、桜の花が咲く銀座を八雲は歩いたのかもしれません。尚、資生堂は1872年に創業していて、1888年には、日本初の練り歯磨きである「福原衛生歯磨石鹸」を発売しました。
八雲は、1890年8月30日に英語教師として松江に向かいました。そこで、士族の娘、小泉セツと結婚しました。セツの語る昔噺や伝説に耳を傾けた八雲は、それを文字に起こして出版しました。そのなかには、「雪女」や「ろくろ首」、「耳なし芳一」など、私たちに馴染み深い怪談もあります。
実は、八雲の著した物語の朗読会が、例年、銀座で行われていました。中央通りのヤマハ銀座スタジオで、松江出身の俳優の佐野史郎さんとギタリストの山本恭司さんが、小泉八雲の怪談はじめとする作品の朗読会を開催していたのです。2020年は、コロナ禍のために中止になりました。もし再開されたなら、ぜひ私も参加したいです。そのとき、何を着ていくかといえば、もっともふさわしいのは、大和屋シャツ店で誂えたシャツと言ってよいでしょう。
いつか八雲が愛用した大和屋シャツ店のシャツを着て、八雲が著した作品の朗読を銀座で聞くことができたならば、そのときには、時空を超えて八雲の感性に触れられる気がします。
*2 大和屋シャツ店/1876年横浜に石川清右衛門が創業。ワイシャツの語源は諸説あるが、清右衛門が西洋人から受け取った白いシャツ「White shirt」を「ワイシャツ」と聞き間違えたことが発祥とも言われている。
東京都中央区銀座6-7-8
http://www.yamatoya-shirts.co.jp/(*2)