森岡書店代表の森岡督行さんが、銀座の過去、現在、そして未来をつなげる新しい物語です。時の人々が集い、数々のドラマが生まれた銀座には、今もその香りが漂っています。1964年頃に銀座を撮り続けていた写真家・伊藤昊さんの写真とともに、銀座の街を旅してみましょう。
銀座二丁目交差点のエネルギー
以前、辛酸なめ子さんと銀座の路上ですれ違ったとき、「銀座2丁目交差点あたりのエネルギーが強いよね」という話をしました。とりわけルイ・ヴィトン 松屋銀座店のあたりが、銀座の交差点のなかでも強いような気がすると。
そこで、この角には、歴代いったい何があったのかを、京橋図書館の地下にある地域資料室で調べてみることにしました。ここには、銀座の古い「住宅地図」がストックされているので、刊行年を遡って該当の土地を見ていくことができます。まるで地面を掘るようなイメージで。
すると、この場所がルイ・ヴィトン 松屋銀座店になったのは、2001年だということが分かりました。かれこれ20年以上この角で、ルイ・ヴィトンの商品が販売されているということになります。現在の建物は、世界各地のルイ・ヴィトンの店舗を設計している建築家の青木淳さんが手がけました。
では、その前は何があったのでしょうか。1999年からの住宅地図を遡っていくと、1970年からのおよそ30年間、ここには、「東京銀行銀座支店」があったことが分かりました。バブルの頃はさぞかし羽振りがよかったでしょう。
その次の住宅地図は1958年まで飛びます。1958年のこの場所には「フォトギャラリー小西六」「親和銀行東京支店」「東京銀行銀座支店」の3つが併記されています。3社が同じビルのなかに入っていたのでしょうか。「フォトギャラリー小西六」は、コニカミノルタの前身である小西六写真工業が1954年に設立した自社ギャラリー。写真家の細江英公さんの初個展はここで開催されたようです。
次は1953年の地図になります。1953年のこの角には、松屋銀座とあるので、松屋銀座が店舗を構えていたということでしょう。
続いて1950年の『築地警察署管内防犯協会要図』を見てみると、この年も角には松屋銀座とあります。この地図が示唆的なのは、3丁目交差点の現在の松屋銀座の場所が、「TOKYO PX」となっていることです。「TOKYO PX」とは、進駐軍向けのお土産販売所。つまり松屋銀座は、この時期、2丁目角で仮店舗営業していたのではないでしょうか。
また、この地図には、松屋銀座に隣接して「明治製菓銀座売店」が出ています。ついに出ました伝説の「明治製菓銀座売店」。これは前川國男がコンペで一等を獲得して設計した建築で、線で構成されたモダニズムの息吹が感じられます。あたかも見てきたかのような言い方ですが、ブルーノ・タウトが写真に収めている他、山脇道子がつくったフォトモンタージュ「とろけた東京」(アサヒカメラ昭和8年8月号)にも登場するビルなのです。私は、このなかに身を置いてチョコレートを味わってみたかった。ペロペロと。
そう思った私は、銀座2丁目交差点で「明治ミルクチョコレート」を食べてみたいという衝動が込み上げてきました。それに歯止めをかけることができなくなり、京橋図書館を足早に後にして、コンビニエンスストアで買い求め、2丁目交差点に立ちました。そして狂ったように銀紙をはがし、さりげなくマスクも外し、チョコレートを口にしたのです。すると、カカオのポルフェノールが全身に行き渡り、いつの間にか、今の闇を切り裂くように、雄叫びをあげている自分が、そこに現れました。あ、これは夢かもしれない! でもそうだとしても、そのとき、私はこう思いました。辛酸なめ子さんの言っていたことは本当だった、と。