森岡書店代表の森岡督行さんが、銀座の過去、現在、そして未来をつなげる新しい物語です。時の人々が集い、数々のドラマが生まれた銀座には、今もその香りが漂っています。1964年頃に銀座を撮り続けていた写真家・伊藤昊さんの写真とともに、銀座の街を旅してみましょう。
現代銀座考:XXIV 月光荘のスケッチブック
現代銀座考に載せているイラストは、銀座8丁目にある、銀座 月光荘画材店(*1)のスケッチブックに描いています。月光荘は、1917年の創業以来、絵具や筆、パレットといった、絵を描く人々にとって必要とされる品々をオリジナルで製造販売してきました。
月光荘のスケッチブックは紙の厚さの違いにより、ウス、アツ、特アツ、新特アツの4種類があり、さらに、松下幸之助が依頼したウスにドットを施したウス点などがあります。このうち、私が用いているのは何かといえば、はじめは、ウスを使っていましたが、徐々に、アツ、特アツと変わっていきました。いまでは特アツでないと、調子が狂う感覚が芽生え、月光荘が、紙の厚さにこだわる訳がわかりました。この紙質を含め、スケッチブックの基本的なデザインは、月光荘の創業者・橋本兵藏と懇意にしていた洋画家の猪熊弦一郎(*2)が一緒に考えたといいます。
1940年には、コバルトブルーの製造技法を発見し、国産初の絵具を誕生させました。月光荘の絵具で描かれた作品としては、上野駅の構内にある壁画、まさに猪熊弦一郎が描いた「自由」がそれと知られています。
ところで、橋本兵藏さんとは、どのような人だったのでしょうか。月光荘の店内には、橋本さんのことばが印刷されたユーモアカードが販売されています。試しに、1を買ってみると「煙にまく恋の戦術」ということば。2を買ってみると「キッスのとき おしゃべりは いけません 語りかけるのは おてゝです」ということば。先ごろ出版された『エノグ屋の言葉集』を読んでも、「広い世界も 好きなふたりにゃ ちいさな浮き世」や「悲しみ もまた うつくしく カタチ」、ということばがならび、愛に生きた人だったのではないかということが、ひしひしと伝わってきます。
そして、おそらく、橋本さんが最も愛したのが、画を描く人、制作に生きる人だったのではないでしょうか。その想いが、月光荘の商品のひとつひとつのかたちとなって現れている。だから月光荘には人が集まる。『エノグ屋の言葉集』には「私の気持ちは ことばに ならないのです」とも書かれています。月光荘が銀座にある理由を、私は、このあたりに求めてみたいです。
その想いは3代目の日比康造さんにも受け継がれています。日比さんはこの4月、画家の使いやすさを考えた月光荘アトリエコートを発表しました。コートが画家にとって機能的であることと同様に、コートから実りあるコミュニケーションが生まれればと願ってのこと。私も一着求めてみたいと思います。
月光荘にとってのスケッチブックとは、絵具とは、コートとは。もしそれがことばにならない気持ちのかたちだとしたら、遠く手の届かない、夢のかけらのようでもあります。
中央区銀座8-7-2 永寿ビル1F・B1
*2 猪熊弦一郎/1902年‐1993年。洋画家。香川県高松市生まれ。22年東京美術学校(現東京藝術大学)に進学。画家として活躍しながら38年フランスに遊学(40年まで)。アンリ・マティスに学ぶ。51年国鉄上野駅(現JR東日本上野駅)の大壁画《自由》を制作。55年~75年までニューヨークにアトリエを構える。その後、冬はハワイ、それ以外は東京で制作する。90歳で東京にて死去。
◎猪熊弦一郎について