森岡書店代表の森岡督行さんが、銀座の過去、現在、そして未来をつなげる新しい物語です。時の人々が集い、数々のドラマが生まれた銀座には、今もその香りが漂っています。1964年頃に銀座を撮り続けていた写真家・伊藤昊さんの写真とともに、銀座の街を旅してみましょう。
現代銀座考 : XXI 「いき」と銀座
銀座は、「いきな街」と呼ばれることがありますが、「いき」とは一体どういうことなのでしょうか。
「いき」を考える時、参照すべき本として、九鬼周造(*1)の『「いき」の構造』があげられます。まだ読んでないという方がいたら、ぜひ読んでみてください。1930年(昭和5年)に出版されたオリジナルでは、九鬼周造の硬質な文体に触れることができますが、より読みやすい、現代語訳の『九鬼周造 いきの構造』大久保喬樹編(角川ソフィア文庫)を選ぶのも手です。それによると、「いき」とは、男女のあいだの関係性であり、媚態・意気地・諦念の3つの内部構造からなります。
媚態は、以下のように述べられます。「ぎりぎりまで相手に接近しながら、しかも、相手とひとつになってはならないというところにある。(中略)その未知の不安定さを保つことが重要なのである」。続けて、「自他の緊張した関係を持続させること、すなわち、どうなるかわからないという不安定さを維持することが媚態の本領であり、恋の醍醐味なのである」とも。
意気地とは、相手のことが好きだけれども、「なお異性に対して突き放してみせる強さをも兼ね備えた意識」をいうとされます。つまりこれは、メロメロになってはならないということでしょう。
諦念は、「運命というものを心得て執着心を捨て、(中略)あっさり、すっきり、スマートでなければならない」とあります。
そして、この3つの反対が野暮とされます。
簡単ながらこうして、いきの3要素を確認してみると、恋人との別れ際のふるまいに、それが顕れることがわかります。
銀座駅の構内では、月一ペースくらいで、終焉を迎えようとしている現時点までは恋人関係であろう二人を目撃することがあります。お互い下を向いて向き合っているのが特徴でしょう。野暮の極みここにありと思ったりするのですが、かく言う私も20代の頃、有楽町国際フォーラムのコンコースで別れ際が生じ、驚異的なねばりをみせてしまいました。あの時、私は若かった。もし、そのときに行けるのなら、昔の自分に、『「いき」の構造』を手渡してやりたいです。「別れてください」といわれたら、いまなら和光の鐘の音でもききながら帰ってみせます。
『いきの構造』では、この三位一体を、味覚の観点からも分析していて、渋味として「うるか」(鮎の潮辛)、甘味として(お茶の玉露)などをあげています。恋愛の甘味を経て、いきの境地を知り、甘みを記憶した渋みに至る、ということになるでしょうか。
もし私にもそれが許されるなら、銀座7丁目の老舗、やす幸(*2)のおでんに求めてみたいと思います。とくに大根。大根はもしかしたら野暮なイメージがあるかもしれませんが、薄口の苦みと甘さに、「野暮はもまれて“いき”になる」という真理がしみています。
*2 やす幸/1933年創業。創業以来変わらない澄んだ「出汁」の中に通常のおでん種の他、自家製の鰺のつみれをはじめ、季節の種が楽しめる老舗。
中央区銀座7丁目8-14
https://www.ginzayasuko.com/