日本とポーランドの国交樹立100周年を記念して、東欧の文化大国ポーランドの女性アーティストとその映像表現を紹介する展覧会が開催されている。
東西冷戦時代の1970年代以降、男性中心に語られてきたポーランドの芸術史だが、ベルリンの壁崩壊後の急速なグローバル化とともに、女性たちの表現が存在感を放ちはじめた。
ポーランドでは伝統的な慣習が大切にされ、女性には「よき母」「よき妻」「よき娘」「よき働き手」であることが求められてきたという。男女格差や性表現においても西欧に遅れをとった東欧では、21世紀に入っても女性の自己実現はいまだ困難だ。ポーランドの女性作家たちは、自身を取り巻く社会の問題と向き合い、自分らしく生きる術として、「アート」というしなやかな闘いかたを選んだのだ。
たとえば1970年代、欧米中心の西側世界では、ヴィデオ・カメラを使ったコンセプチュアルな実験映像が頭角を現していた。共産主義政権下のポーランドの女性作家たちもまた、ヴィデオが手に入らなくとも家庭用の8ミリや16ミリのフィルム・カメラを使って、果敢にさまざまな実験に取り組んだ。彼女たちパイオニア世代の映像表現は、刺激的な映像に慣れきった現代人からみれば素朴だが、当時の時代背景を考えると非常にぶっ飛んだ「行為」を通して、人間性を検証した記録である。
身体を張った実験精神はつぎの世代にも受け継がれた。
冷戦終結後の1990年代以降、民主化を果たしたポーランド社会は、物質的な豊かさを得る一方、格差の拡がりや価値観の変化などの転換期を迎える。社会批評的な「クリティカル・アート」の潮流は、人間性の闇に勇敢に斬り込み、社会の矛盾を露わにした。
1961年生まれのズザンナ・ヤニンの作品では、真っ白なリングで、スレンダーな彼女自身がヘビー級のプロボクサーを相手に勝ち目のない闘いを続ける姿を追う。数ヶ月ものトレーニングを積んだというヤニンは、制作当時、格上のアーティストだった元夫のDVに沈黙していたという。「圧倒的なパワーに立ち向かい、権利を勝ち取ることは困難だけれど、自分からリングを降りないかぎり、どんなにちっぽけな存在でも永遠に無視し続けることはできないのだ」と語る。
1968年生まれのヨアンナ・ライコフスカは、認知症を患って晩年を施設で過ごした彼女の母親に扮して、母と同じように脱走して町を徘徊するパフォーマンスを映像化した。まるで囚人服のような施設のパジャマを着て、虚ろな表情で沼に浸かり、濡れたまま街路を彷徨うゲリラ的行為を通じて、作家は母の恐れや不安を追体験し、自身のトラウマを克服しようとする。バッグに潜ませた隠しカメラは、奇異な目で遠巻きに眺める若者や、幼なじみと偽って彼女を施設へ送り返す中年女性の姿を生々しく映し出し、公共空間での弱者の位置づけを炙りだした。
続いて2010年代以降の作品を観てみよう。
1979年生まれのカロリナ・ブレグワの作品では、彼女自身が目隠しをしたまま、偉大なアーティストの先達でもある恩師に向かってさまざまな抑揚をつけて「教授」と連呼する様子を通して、男性中心主義の時代の影響がいまも若い女性アーティストたちを見えない力で拘束している現況を象徴する。
1988年生まれのアンナ・ヨヒメク&ディアナ・レロネクは、1枚のシャツを2人で着て、インスタやYouTubeの投稿動画のようなユルい映像を撮影した。実際に某美術館の副館長職に応募した2人の資料映像である。彼女たちが掲げる公約には「女性の敵は女性」「それは家父長制の強大な装置」といった聞き捨てならないコメントが散りばめられている。
自身を「ポジティブ・ハッカー」と呼ぶ、1993年生まれのヤナ・ショスタクは、ダイエットで磨き上げた身体と超ポジティブなキャラクターを武器に、実際の「ミス・ポーランド」に出場。ミスコンという父権主義社会の遺物を内側からハッキングし、食い破ろうとする。ベラルーシ移民である彼女が、難民と呼ばれないため名字の綴りを変えたと語る映像はリアリティ番組のようで、ヨーロッパ社会が抱える民族移動の問題に確信的に肉薄している。
1970年代から約50年にわたる、ポーランド女性作家の映像表現の変遷を一望する本展。共産主義政権下で鍛えられた彼女たちの強靭な反骨精神と辛口のユーモアのセンスは、新自由主義の功罪に揺らぐ現代の日本社会であればこそ響く、鋭利な批評性としたたかなアイデアに満ちている。
≪展覧会詳細≫
開催期間:開催中~10月14日(月・祝)
休館日:毎週月曜日(ただし月曜日が祝日・振替休日の場合は開館し、翌平日休館)
会場:東京都写真美術館 地下1階展示室
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3443.html
〒153-0062 東京都目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内
TEL 03-3280-0099