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Column

2019.09.12

【短期連載】地図のない道 / Art Traveler

文/深井佐和子

インディペンデント・キュレーターで、2人の子ども(6歳と1歳)をもつ深井佐和子さんが、世界のアートが集まるヴェネツィア・ビエンナーレ、そしてイタリアの地を旅した短期連載第4回です。人はなぜ旅をするのか、なぜアートを見るのか。ヴェネツィアからモデナ、そしてミラノへと旅は続きます。街を歩き、食に触れ、そして目に映る風景や考えたことを綴ります。

Vol.4 ミラノ - Bar Basso / 音楽家とマリアたち / 都会での出会い

 昨日の夜はBar Bassoにいた、というと途端にミラノの人は嬉しそうな顔をする。

 モデナから電車でミラノに到着すると、ビルが立ち並ぶその大都市の様相に圧倒される。気温は30度を超え、強い日差しと意外にも湿気が街をおおっている。タクシーでホテルに到着し、クーラーで冷やされた世界中どこでも同じようなデザインのシティホテルの一室に入ると、もうここがミラノだかシンガポールだかわからない。イタリアのアパートに宿泊してきた1週間を経ると、その味気なさはつまらない半面、都市の匿名性が心地よかったりもする。時刻は夕暮れ時。ひとまず、夫がどうしても連れて行きたいバーがあるというので歩いて散歩に出かける。すっかりイタリア時間に馴染んだ子どもたちはしっかり起きているし、ベビーカーでバーなど落ち着かないが、ちょうどアペリティーボの時間だし、出かけてみる。早くミラノの街が見たい。

 Bar Bassoの名物はネグローニ。ネグローニはカンパリ、ベルモット、ドライ・ジンを合わせたカクテルだが、この店ではジンの代わりにプロセッコを用いる。食前に飲むと、苦いスピリッツとプロセッコの爽やかさが空腹に心地よい。ワインボトルのような高さのある巨大なグラスで出されるそれはなるほど美味で、ああミラノ、いいね、とまだ何も見ていないうちから声が出る。そうでしょうと得意げにいう夫は、数年前にイタリアのキュレーターチームと仕事をした際、ここで朝まで飲んだそうで、そのときから家族で再来したかったのだと言った。クリエイターが集まるバーらしいが、見渡す限り地元の人ばかりで、気取りはゼロ。ウェイターの初老の男たちも異様に明るいわけでも不親切でもなく、昨日と同じ仕事を今日もやっているだけという都会的な粋を漂わせる。ポテトチップスとオリーブの、味気ないくらい簡単なアペリティーボなのに、あまりのネグローニの美味しさに、そして店内の心地よさに、もう少しここで夕方と夜が溶け合っていくのを楽しむことにする。

 ふと気づくと、カウボーイハットの少女2人がこちらを見ている。お揃いの藍染のTシャツに短いスカート、よく焼けた肌に大きな目で、目を離せないほどの美少女たち。私の長女と歳が近いせいか、2人ともチラチラとこちらを見ている。隣には母親らしき長身の美しい白人女性、その隣にアジア系の男性がいる。大人2人もかっこいい帽子をかぶって、常連らしく店の人や来る人と絶えず握手を交わし、話している。長女も彼女たちが気になっていて、話の途中で目線を送っている。話しかけたらと促すが、いやいやと恥ずかしがって首を振る。
すっかり長居してしまい、次女はとっくに眠りにつき、もう夕飯はなしでいいねと話している頃、先ほどの長身の美女が突然近づいてきて「こんばんは。私の夫は日本人です」と訛りのある日本語で話しかけてきた。例の少女2人がその背後にぴったりとくっつき、こちらを見上げて微笑んでいる。追って会計を済ませた男性がやってきた。聞けば男性はミラノ生まれ、ミラノ育ちの日本人で、音楽の仕事を夫婦でしているそう。この店に日本人の家族連れとは珍しいと、話しかけてくれたようだった。「今すぐに一緒に遊びたい」と少女たちが小刻みに跳ねる。もう遅いから、明日また会いましょうとお互い連絡先を交換し、よい夜を、と店の外で手を振った。不思議な出会いがあるものだ。
 ミラノ、いいね、と私はまたいう。そうでしょう、と夫がいう。

 翌日も朝からギラギラとした太陽が照りつける。早朝ホテルのまわりをGoogle Mapを見ながら走ってみて、街の大きさを実感する。10分走ってもピンが少ししか移動しない。早朝から営業しているコーヒーの美味しそうなカフェはないものかとキョロキョロしながら走るが、残念ながらホテルのまわりは不作なエリアのようで、チェーンのコーヒーショップですら見当たらない。ああモデナの朝のマキアートが恋しいと、不毛な文句を独りごちる。
昨日出会った音楽家一家と、美術館「XXII Triennale di Milano(ミラノ・トリエンナーレ)」で昼に待ち合わせをした。その前に、ここで開催中のミラノ・トリエンナーレを見る。メインの展覧会は「Broken Nature : Design Takes on Human Survival」。MoMAの建築・デザイン部門のキュレーターであるPaola Antonelliによるキュレーションで、デザインと、回復を目指す自然や環境、人類との関係性がテーマ。バイオアートや環境問題に言及するコンテンツが多く、国別のプレゼンテーションもかっこいい。ヴェネツィアで、世界の明るいとは言えない表象を見た後の対比が面白い。人間はどのように持続し、進化していくのだろうか。

 建物の外に広がる大きなセンピオーネ公園から燦々と太陽が差し込むカフェに、時間通りに、音楽家一家はやってきた。子どもたちがお気に入りのおもちゃを持ってきてくれて、少女3人は一瞬で意気投合し、テーブルに着くなりキラキラした宝物を見せ合っている。音楽家と一緒にやってきた恰幅のよい中年女性、マリアを紹介される。マリアは音楽家一家と同じアパートの住人で、本職はプロデューサー業だが、じつは現代写真のコレクターでもあり、彼女の“ささやかな”コレクションに登場する世界的なアーティストの名前を全て私たちが知っていることに嬉しそうな顔を見せる。デ・コルシア、トーマス・シュトゥルート、ルイザ・ランブリ……上質で品のいい作品のセレクトが彼女の知的さを物語る。一気に距離を縮めた私たちは話が尽きず、プロセッコのグラスが空いた頃、天気もいいので庭のテラスに移動してランチを取ることにする。隣に座った美しい音楽家の夫人は、ヴェネツィアのものという大きなガラスの玉が連なるネックレスをしていて、割れてしまわないのかと思わず聞く。「ときにはね。でもミラノに一軒だけ、修復ができる店があるからそこに持ち込むのよ」という。ミラノに一軒だけ。この街は職人の町なのだ。すでに受け継がれているアートがあり、音楽があり、生み出す人がいて、修復師がいる。そうやってこの街の文化は、守られてきたのだろう。
 少女たちは庭にある彫刻作品、1973年に設置されたというジョルジュ・デ・キリコの「Mysterious Baths Fountain」のまわりできゃあきゃあ黄色い声をあげて遊んでいる。食事も終わり、今日しか行くチャンスのない美術館「Hangar Bicocca」に行こうかというときに、長女がキリコの中に貯めてある水の中に落ちた。恥ずかしさでべそをかく長女のまわりで少女たちが「まだまだ遊ぶ」と飛び跳ねる。ではまた夜に、と約束をして、びしょ濡れの長女を連れて美術館を去った。

 ミラノの中心を少し離れた工業地帯にある「ピレッリ・ハンガービコッカ(Pirelli Hangar Bicocca)」は2004年に建てられた巨大な現代アートセンターで、その面積は15,000平方メートルに及ぶ。館内の複数の部屋のそれぞれで巨大な規模の現代アーティストによる展示が行われている。メインの部屋、というか9,500平方メートルの巨大なスペースではドイツのアーティスト、アンゼルム・キーファーのインスタレーションが常設されている。見渡す限りの暗闇の中に7体、ぼうっとそびえ立つ、高さ20メートルはあるのではという 「I Sette Palazzi Celesti(天上の七つの宮殿)」には、この旅で見たどの作品よりも圧倒された。暑さのせいか、そのあまりの重いエネルギーのせいか、当てられてしまい、ふらふらと先に展示室を出て、カフェのテラスでソーダを飲むことにする。目の前に座って熱心に議論する、いかにもアート関係といった中年女性2人のかっこよさに、ぼうっと見とれてしまう。ミラネーゼ、という言葉があったが、ヴェネツィアにもモデナにもいない、ミラノにしかいない人種が確かにいるのだ。この街を少しずつ歩き進めると、そのような人に段々と巡り合う。世界が均一化している最中だからこそ、「その場所に生きる人」と出会い、言葉を交わすことこそが、人間が持続していく方法の一つではないかと、昼間の展示を思い返しながら考える。

 どうしても少女たちに最後に会いたいという長女の願いを叶えるため、夜に音楽家の自邸に寄らせてもらう。初めて訪れる、ミラノの集合住宅。教えられた細い玄関を進もうとすると、呼び止められる。振り向くと、マリアだった。今ちょうど友達と食事に出るところ、良かったら作品見ていかない? と誘われて玄関を入って、その豪華なアパートに驚愕する。エントランスのアプローチに飾っているシュトルートの名作は美術館でしか見たことのない巨大なサイズで、その奥の壁面を本が埋め尽くす書斎、広々としたリビング、人が集うのであろうダイニング。300平方メートルはあろうかというスペースのそこここに、趣味のよいアート作品がかけてある。インテリアがモダンすぎず、クラシカルで、生活感もあり、これほどの作品を収集しているのにもかかわらず彼女がとても謙虚なことに感銘を受ける。この旅でいろいろなアート作品を見ているけど、やっぱり私は写真が好きだなと心から思う。こんな風に写真がこの人の生活に寄り添い、その一部となり、今日出会った私たちに彼女の人となりを伝える。選んだ作品を見ればその人のことがわかる、それが個人コレクションの面白さだ。それはヴェネツィアのペギー・グッゲンハイム邸から、このマリアの家へと続く、揺るぎない糸なのだと感じる。

 また会いましょうと約束をしてマリアのアパートを出て、その後音楽家、そしてたった1日で、いまや友人となったその家族の部屋への階段を上がっていった。

深井佐和子

ライター/編集者/キュレーター

1981年東京生まれ。上智大学文学部卒業。現代写真ギャラリー、アートブックの出版社にて10年勤務した後独立。2014年から4年に渡るロンドン、アムステルダムでの生活を経て現在は東京を拠点にアートプロジェクト・マネジメントを行う他、翻訳、編集などを行う。
https://www.swtokyo.jp/