資生堂ギャラリーが、新進アーティストによる「新しい美の発見と創造」を応援する公募プログラムとして2006年にスタートしたshiseido art egg(シセイドウアートエッグ)。第15回となる本年度は、石原 海(いしはら うみ)さん、菅 実花(かん みか)さん、中島 伽耶子(なかしま かやこ)さんの3名が選出され、2021年9月14日(火)~12月19日(日)にかけて個展が開催されます。この新進アーティストが不確実・不安定と言われるこの時代にアートを通じてメッセージすることとはーー。3名それぞれの活動と今回の展示について、そしていま考えることについて、アートジャーナリストの住吉智恵さんがお話を聞きました。Vol.1は石原 海さんです。
Vol.1 石原 海
弱者に寄り添うために、アートができること。
世界的なパンデミックにより、自由な移動や密集が制限される状況下、安定した「拠点」や安全な「居場所」のあり方はこれまで以上に重要な問題となった。
第15回 shiseido art eggに石原海が出展するのは、「拠点」や「居場所」を失った生活困窮者を支援するキリスト教会を舞台に制作されたドキュメンタリー映像だ。北九州市東八幡にあるこの教会では、生活困窮経験がある人などが入り混じり、共に聖書を学び、礼拝に参加する。石原自身も4年前「帰る場所がなく不安定な状態だったときにここに流れ着いた」という。
その後、助成を受けて渡英。ロンドンを新たな「拠点」に、順調に評価を得ていた矢先にコロナの災禍が起きた。大学を休学して一時帰国した彼女は、ふたたびこの教会に通い始め、元生活困窮者の人々と交流しながらこの作品を制作した。
「ある事情で帰る場所がなくなり、友だちの家などを転々としていたとき、友人の父親の牧師さんが困窮者支援をやっていると聞いて、この教会にたどり着きました。そこでは何者でもない存在であっても許されているという連帯感を感じ、背負ってきたものが少し軽くなった気持ちになりました。はじめて、カメラなんて持たなくてもここにいることが許されている感じがした。この作品はセンシティヴな内容ということもあり、出演していただいたのは特に個人的に関係の深いキリスト教者たちで、今後もずっと関わっていきたい、大好きな人たちです」(石原)
本作『重力の光』は、元生活困窮者の人たちを含む9人の教会に集う人々がイエス・キリストや十二使徒、大天使などに扮した新約聖書の演劇と彼らのインタビューを交差させたヴィデオ・インスタレーションだ。大展示室には、大きなスクリーンに向かって椅子が並び、小展示室には映像作品から展開したインスタレーションが展示される。
本作について、石原はフランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの著書『重力と恩寵』から影響を受けたという。キリスト教思想に深く傾倒したヴェイユは、貧しい労働者階級の境遇に寄り添うあまり、エリート家系の生家を捨てて過酷な工場労働に身を投じ、若くして栄養失調により没した。ヴェイユが身をもって探究した「生きることの苦しみ」、そして「復活」の意味することを、石原はキリストの受難と復活の物語を通して探ろうとする。
「哲学と生き様が一致したヴェイユの生き方が、時々私自身のことのように感じることがあります。ヴェイユの人生は自分の存在理由を追い求めて覚悟を全うした壮大なパフォーマンスのようだなとも思います。私たちの人生は常に重力に引っ張られ、うっかりすると重力に負けて下へ下へと沈んでいく。ヴェイユがキリストの教えを人生の指針としたように、死んでしまいたいと思うようなときも祈ることで重力からふわりと解放される瞬間がある」(石原)
石原は東京藝術大学で美術を学びながら、もとより関心のあった映像の分野に集中していった。映画でなく、アートとしての映像作品に向かった理由はその自由度だという。
「作品を、もっとパーソナルな空間のなかで伝えたかった。インスタレーションは、ある種鑑賞者を舞台の上に引き上げるための空間とも言えると思います。そこに立って、じゃあお前は何を考える?みたいな。そのための自由な装置として、インスタレーションが重要な要素だと考えると、どうしてもアートに引き戻されるんです」(石原)
いっぽう大学卒業後に渡英してからの2年間は、ヴィデオ・アートのみならず、よりコマーシャルな映画制作の仕事も手がけた。BBCの公募プログラムで制作し、イギリスの映画祭で最優秀監督&撮影賞を受賞したドラマ『狂気の管理人』(2019)では、デートアプリを介した男女のインスタントな繋がりを題材に、現代人がオンラインに抱く幻想を描いた。
「美術館やギャラリーに来る人たちはある一定の限られた層ですが、ドラマや映画なら労働者階級を含めた幅広い層に観る機会がある。文化芸術の教育を受けていない人たちにも届けたいと思いました。なので、BBCという民放で全英に自分の映画が放送されたことは、大きな出来事でした。」(石原)
『狂気の管理人』(2019年)のトレイラーはこちら
『ローズシティ』(2018年)のトレイラーはこちら
過去作品から本作まで、石原の映像作品に一貫しているのは、赤裸々な現実と夢想的なファンタジーを行き来する媒介となる美的な視覚言語だ。特にフィクションでは、都市の蜃気楼のような眩惑的な絵づくりが異化効果をもたらしている。
本作『重力の光』でも、さまざまな事情を抱えた老若男女が聖人や天使の衣装を纏う聖劇のシーンにはカラヴァッジョを思わせる神話的な光が満ち、まさに劇的なその演出効果はややもすればドキュメンタリーの領域を越境するほどだ。
「美しい映像を撮ろうとしてしまう私自身の〈業〉のようなものを明確に言語化しなければならないと思っています。舞台上でマジシャンが魔法のひと振りを施すように、タネも仕掛けもあるのを承知で、自分の作品を幅広い人たちに届けたい。そのための魔術的な装置がアートなんです」(石原)
「この世に安住の地はない」という体験的に得た人生観を出発点に、石原は弱者や社会から放り出された人たちに寄り添うことを最大の動機として創作を続けていく。この世界にただ生まれてきて、たとえ何も生み出さない存在であっても、人間には生きていく権利がある。生産性至上主義の苛烈な社会を生きる私たちに、石原の作品は根源的な問いを突きつけてくる。
1993年東京都生まれ。2018年に東京藝術大学美術学部先端芸術表現科卒業。同年、UCA芸術大学映画学科に公益財団法人江副記念リクルート財団アート部門奨学生として留学。2021年、ロンドン大学ゴールドスミスカレッジファインアート学科入学、現在はアーティストフィルム在学中(休学中)。個人史とともに、愛、ジェンダー、社会をテーマに作品を制作している。福岡県在住。
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去年はじめて聖書を読み出してから、聖書はもちろん(いままで読んだ本の中で一番おもしろい)聖書関連の本をたくさん読んでいる。
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