音楽制作と作品づくりにはさまざまな共通点があります。
クリープハイプの尾崎世界観さんと現代を生きるアーティストとの対談企画。第5回は、資生堂ギャラリーで4月18日(日)まで開催されている「アネケ・ヒーマン&クミ・ヒロイ、潮田 登久子、片山 真理、春木 麻衣子、細倉 真弓、そして、あなたの視点」展からアーティストの片山真理さんにご登場いただきました。後編では、ともに表現者である二人が作品、言葉との向き合い方について語り合いました。
言葉にすると離れていく、作品と言葉の関係
尾崎 言葉についてもお聞きしたいです。片山さんは、作品を丁寧に文章で説明されているじゃないですか。個人的には、すごくわかりやすくなるし、いいなと思っていて。自分の作品をつくる「身体」と「言葉」にはどういう関係があるんですか?
片山 おしゃべりも大好きですし、ツイッターでつぶやいたりもします。最近日記も書くんです。でも、やっぱり言った瞬間に自分の中に入っている想いは嘘になるというか。言葉にはどこかに距離があって。思ったことが100%伝わるわけじゃないと理解していて、ある意味、言葉を諦めているようなところがあるんですよね。でも人は伝えないと伝わらないから、その人に歩み寄りたい。ただ、作品のステートメントを書くときは、全部説明しなくてもいいんじゃない?と思っています。質問をされたら、それに答えるような形で説明できればそれでいいと。
尾崎 説明してもしきれないですからね。最近、自分の作品についてインタビューを受けることが多いんですけど、言えば言うほど、何だかよくわからなくなってくる。新しい疑問にもぶつかるし、話すということは、作品から遠ざかることでもあるんですよね。
作品についての言葉を読むかどうかというのも難しくて。自分が作品について話せば話すほど、つくり手からの「こういう風に見て欲しい」という主張が強まって、そちらばかりを見てしまう気もするし。自分では作品を見るときに、何も意識せずにフラットに見たいなと思っているんです。でもそう思うこと自体、すでに何らかの意識が介在してということなんですよね。片山さんの身体についてもそうで、それも含めてひとつの表現なのかもしれない。
片山さんは、作品を通して世界に自分の身体を貸し出している。そんな感覚を受けたんですけど、どうでしょうか?
片山 近いところはあるかもしれません。オブジェは作品なんです。自分の身体というのは、作品を説明的に見せるマネキンみたいなもの。身体が土台になっていて、オブジェ作品がのっているようなイメージです。よく勘違いされるのは、ありのままの姿をまるごと出しているとか、自分自身をさらけ出しているということ。全然そんな気はなくて。私にとって身体は、世界と繋がる手段のひとつなのかもしれない。
作品を見てもらうきっかけは、正直どうでもいいかなと思っています。疑問をいただいたらそれに答える。でもいきなり「私はこれを表現しているんです!」みたいなことは言いたくない。人の思考をコントロールするのは嫌いなので、作品を見て素直に感じ取ってくれたらそれでいいかなと。感想を言われたら受け取るけれど、違うことを言われたら違いますと答える。でもそれ以外はどう受け取ってもらってもいいんです。絶対次に繋がるから。
尾崎 否定的なことを言われて引きずったりはしないんですか?
片山 うーん。怒ったり悲しんだりはしますね。あと、何でそう思うのかが気になりますよね。よく言われるのが、障がい者としての身体についてのテーマを扱っているとか、義足のアーティストとか。でも義足をつくっているの私ではないし。「○○の」という枕詞みたいなものが邪魔だなと思うときはあります。
尾崎 逆にそういうことをうまく使って伝えるということでもないんですか? もっとフラットな感じなのでしょうか?
片山 そこはすごく悩ましいところでもあります。やっぱりそういう身体を持って生まれた以上、困っていることとか意見はあるんですよ。でもそれを言ってしまうと障がい者としての意見になってしまって、届けたいところに届かない。本当は言いたいし、活動したいんですが、実際にそれをやってしまうと活動家になってしまう。自分の“もやもや”があるので、そういう鬱屈は日記などに書くこともありますね。
尾崎 それを書くことで発散されるんですか?
片山 そうですね。そのとき思った気持ちをなるべく残しておこうと思っています。でも難しいですよね。障がい者枠というのでピックアップされることがあったりするんですが、それにも疑問を感じます。
尾崎 自分も芸能人枠で芥川賞候補になったと言われています。やっぱりそれはしょうがないし、どうしてもそう見られるところはありますよね。でもそういう人に限って、ちゃんと小説を読んでくれなかったりするんですけど(笑)。
片山 でも、その事実も否定できないですからね。やっぱりいろんな顔があるから、全部が正しいと思うんですけど、ひとつだけをピックアップされちゃうと、うーんと思います。
尾崎 メディアもわかりやすく伝えるじゃないですか。短い見出しで、いかに早く伝えるかとなると、そこだけが拾われてしまう。短く切り取られた情報というのは、おもしろおかしく伝わって、本当に意味のない部分でだいぶ“もやもや”させられますよね。
今回、作品をじっくり拝見して、片山さんの作品内での表情がすごく印象的だと思いました。撮るときは何を考えているんですか?
片山 頭の中のストーリーがあって、それを演じているという感じですが、絶対に自分でシャッターを切るタイミングを決めています。この作品はデジタルなので、iPhoneでタイマーとリモコンを使っていて。リモコンを押した後に5秒後にシャッターが下りるような感じで撮っています。
尾崎 別のカメラからイメージをして、自分で演じているんですね。印象としては、そんな感じがないというか、強い顔だな、不思議だなと思いました。笑っている顔はないですよね。それは先ほどのマネキンの話ともリンクしているんですか?
片山 その感覚はあります。マネキンってそれぞれのシーンの格好をしますよね。この写真(「shadow puppet #016」)では、私の手が足になっていて。笑って欲しい作品なんです(笑)。
尾崎 片山さんにとって「手」とはどういうものですか?
片山 働き者かな。便利なものという感じ。ただ30歳過ぎたときに関節が痛くなってきて。使い過ぎたみたいで。手芸のし過ぎなんだと思いますが、中指のところがおかしくなって。あとは漫画の描き過ぎでペンダコができてる(笑)。便利な身体も使えなくなるのね、という感覚を違う意味で覚えました。
尾崎 ご自身が写っていない写真もすごく魅力的だと思いました。これはイメージなんですけど、景色が濡れている感じというか、滲んでいるように思いました。
片山 初めてそういう感想を聞きました。実は、私、濡れている何かがものすごく苦手なんです。風呂とか風呂上がりの髪の毛とかが嫌い。尾崎さんの『母影』を読ませてただいたときに、「せっかくかわいているのに、またぬれるのがもったいない」というくだりがあって、すごくよくわかると思いました。何か状態が変わってしまう、変えてしまうことが苦手なのかもしれません。
尾崎 ありがとうございます。他の変化に対してはどうですか? 立ち上がる、移動する、ということが自分は嫌いなんですよ。何かの乗り換えがとにかく嫌で。新幹線でもたまに乗り換えなきゃいけないときはすごく嫌だし、空港の乗り場まで行くバスがあるじゃないですか。ああいうのも大嫌い。絶対にこのまま意識を繋げていけると思っていたのに、イレギュラーに、意識を切断される瞬間がすごく嫌で。
片山 わかります。そのまま電車に乗り続けて、乗り過ごすことがありますね。
尾崎 いろんなところに行くのもあんまり好きじゃないですね。遊園地に行って、次はこれに乗ってというのが嫌で。とにかく、一定の流れの中にいたい。自分の頭の中で考えるだけで楽しいから、周りが切り替わっていくことに疲れてしまうんです。
片山 それも、すごくわかります。旅行に興味ないの?と言われるんですが、パリで展示を行ったときも、2泊4日で観光もせず、仕事の現場とホテルの往復でした。ただ、子どもができてそれは変わりましたね。私ではなく彼女に見せてあげるために出かけようと思うようになりました。でも、一人でいるときはホテルにずーっとこもって、本を読んだり、考えごとをしています。
尾崎 そうなんですよね。自分の頭の中のほうが面白いから、それで十分なんです。
そうだ、片山さんはツイッターなどで、「設営だ!設営だ!」と発信されているじゃないですか。あれは、どういう気持ちなんですか? 自分の場合、設営という作業がないから、どういう感じなのかなと気になって。
片山 「現場行くぞー!」という気持ちですね。ライブなら機材チェックみたいなものでしょうか。リハの前の準備という感じ。展示の構成を考えているときは、セットリストを考えるのに似ています。でも、現場に行くと本当に必要なことだけしかしませんし、カメラも持ち歩かない。設営が終わったら、ハイ、さようならという感じで。設営自体も早いです。現場では、展示のイメージが見えてくるのでパパッと指示を出して終わります。
尾崎 なるほど。レコーディング中、ミックスをしているときの感覚に似ているのかもしれません。途中で変えたくはならないんですか?
片山 ならないですね。一度もないですね。今まで。
尾崎 ずーっと悩んで、あれこれ変えてる人もいるじゃないですか。片山さんは、お客さんに近い感覚なのかもしれませんね。
片山 そうですね。自分がつくった作品というよりは、その作品がどう届くか、どう見られるか、といったことに視点が行きますね。尾崎さんはどうですか?
尾崎 自分もけっこう作品から離れちゃいますね。ずっと作品のそばにいても広められないですよね。だから、意識的にそうなったんだと思います。長く続けていくためには売っていかなきゃいけないし、だからこそ、つくっているときとつくったあとでは、全然違う感覚になりますね。
片山 でも、ふと振り返ったときに1本の筋みたいなのはありませんか? 全然タイプは違うんだけど、やっぱり全部私の作品だなって思う。たまにこんなのあったっけ?って思う作品もあるんだけど、この線を辿ってきているので大丈夫だと思える。
尾崎 そういうところをちゃんと見て欲しいですね。
片山さんの作品づくりは、今後どうなっていくんですか。
片山 このシリーズを撮ったあとに娘を妊娠したのがわかってそこから5年になるのですが、この期間ってずっとブランクだった気がしています。育児の場面ではビーズや針などの制作の道具を片づけてしまっていたので、オブジェの制作はできなかったんです。初めて海外で個展を開いたときに、過去の作品を再編集しなおした際は、まるで他人事のような感覚でした。最近やっと今年4歳になる娘が私の隣でお裁縫をするようになってきたので、お裁縫を再開しました。もしかしたら、そちらの方向に戻るかもしれないけど、戻らないかもしれません。
尾崎 でも、裁縫をまた再開されたのはすごいことです。武器がひとつ戻ってきたということですね。今日はありがとうございました。
片山真理
アーティスト
先天性の四肢疾患により9歳のときに両足を切断し、身体を模った手縫いのオブジェや立体作品、装飾を施した義足を使用しセルフポートレート作品を制作する。自身の身体を起点に、糸と針を用いて他者、社会、世界とのさまざまな境界線を縫い繋いでいる。
会期:2021年1月16日(土)~4月18日(日)
会場:資生堂ギャラリー
開館時間:平日11:00~19:00、日・祝11:00~18:00
定休日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合も休み)
住所:東京都中央区銀座8-8-3 東京銀座資生堂ビルB1
TEL:03-3572-3901
詳しくはこちら→資生堂ギャラリー公式サイト