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Rocky’s report from Shanghai

2023.03.24

Vol.33 ひとり芝居の女王、黄湘麗が表現する自由と想像力

文/令狐磊 Rocky Liang

翻訳/サウザー美帆

 舞台は三層に分かれたロフト式アパートメント。冷たいコンクリートグレーの空間の中央には、葉がなく枝だけの巨木が唯一の装飾のように静かに林立。その場の雰囲気を瞬時に変化させるのは、鮮紅色の電灯、黄昏色の夕陽、殺伐とした白い稲光。10人掛けの長いソファ、洗濯機、散乱する空の酒瓶は、耐え難いほどの孤独を象徴しています。

『狐狸天使FOX ANGEL』
『狐狸天使FOX ANGEL』

 これは、北京の蜂巣劇場で上演されていた『狐狸天使FOX ANGEL』の舞台。主演は人気俳優の黄湘麗(ホアン・シャンリー)。彼女は中国では“ひとり芝居の女王”と称されています。

 ひとりの俳優が複数の役柄を演じながら、そのセリフ、表情、動きだけで独特の世界観をつくり出すひとり芝居は、もっとも難しい演劇のスタイルとも言えます。音楽や歌などの演出が舞台の変化を手助けしますが、基本は俳優の演技力にすべてがかかっています。

 黄湘麗は、中国で最も人気がある舞台監督・孟京輝(メン・ジンフイ)が主宰する劇団に10年近く所属し、これまでに2000回以上の公演を行い、累計観客動員数は10万人近くに達しています。彼女は2013年に『見知らぬ女からの手紙』で初めてひとり芝居に挑戦しました。

『見知らぬ女からの手紙』
『見知らぬ女からの手紙』
『見知らぬ女からの手紙』

 僕は7年前に、僕が主催するブックショップ『衡山・和集』のイベントに彼女を招いてトークショーを行ったことがあります。彼女はガブリエル・ガルシア=マルケスの『コレラの時代の愛』に心酔し、その文学的素養は、彼らの劇団の読書会に由来していることなどを話してくれました。

 フランスの作家フランソワーズ・サガンの同名小説を舞台化した『悲しみよ こんにちは』で、彼女は5人のキャラクターを演じ、そのときの役柄に合わせたショートボブは、黄湘麗の代表的なヘアスタイルとなっています。この物語に出てくる「君には僕しかいない、僕には君しかいない、僕たちは孤独で不幸だ」というセリフは、ひとり芝居を続ける黄湘麗の内なるセリフでもあるのかもしれません。しかし彼女はこうも語っています。
「舞台に相手はいないけれど、実はお客さんが相手なのです。彼らの目を見ればわかります。舞台の上での孤独は一種のエネルギー。観客の目をまっすぐに見て、目と魂で交流しているのです」。彼女がじっと客席を見ているときはいつも、枯葉が落ちる音が聞こえるほど舞台は静寂に満ちています。

『悲しみよ こんにちは』
『悲しみよ こんにちは』

 コロナ禍で数ヶ月以上舞台に立つことができなかった時期も、彼女は精力的に創作活動を続けていました。2021年(2019年製作)には中国の名匠・婁燁(ロウ・イエ)監督の映画『蘭心大劇場院(邦題:サタデー・フィクション)』に出演しスクリーンデビューを果たします。また同時期に『狐狸天使FOX ANGEL』の上演も開始しました。

 孟京輝の作・演出による『狐狸天使FOX ANGEL』は、リルケ、ブレヒト、コルタサルなどのテキストを断片的に参照した、まったく異なる5つの物語で構成されています。さまざまな人物の奇妙な人生が舞台上で交錯し、それぞれの不条理、悲痛、裏切り、ロマンなどを、黄湘麗はたったひとりで表現。その細やかでリアルな演技は、コロナ禍で長い期間不自由を強いられた観客の心を、しっかりと掴んでいました。

『狐狸天使FOX ANGEL』
『狐狸天使FOX ANGEL』

 黄湘麗のことを「精霊のように詩的な俳優」だと、孟京輝は称賛していますが、彼女のような俳優は中国でも数少なく、その孤独な創作の道は、彼女の粘り強さとボーダーレスな感性を象徴しているようにも思えます。『狐狸天使FOX ANGEL』で彼女が身にまとった華やかな衣装の向こう側には、幻のようなコロナ禍の歳月を経た後に表出した自由と想像力、そのスピリチュアルな光も垣間見えました。

黄湘麗(Huang Xiangli)
1985年湖南省生まれ。中国を代表する舞台俳優。2003年から2007年に中央戯劇学院演劇科で学び、2008年に孟京輝の劇団に加入。2013年に『見知らぬ女からの手紙』で初めてひとり芝居に挑戦。2015年にはフランソワーズ・サガンの同名小説を舞台化した『悲しみよ こんにちは』でひとり5役を演じた。2018年には『九又二分之一愛情』がニューヨークでも上演された。最新作は『狐狸天使FOX ANGEL』。

令狐磊 Rocky Liang

クリエイティブディレクター/編集者

上海の出版社Modern Media社が発行するカルチャー誌『生活LIFE MAGAZINE』『週末画報Modern Weekly』などのクリエイティブディレクターを務める。同時に文化とビジネスの新しいスタイルの融合を目指す文化力研究所の所長として『花椿』中国版の制作を指揮するなど多方面で活躍中。

サウザー美帆

編集者/翻訳者

元『エスクァイア日本版』副編集長。上海在住を経て、現在は東京を拠点に日中両国のメディアの仕事に従事。著書に日本の伝統工芸を紹介する『誠実的手芸(誠実な手仕事)』『造物的温度(ものづくりの温度)』(中国語、上海浦睿文化発行)。京都青艸堂の共同設立者として中国向け書籍の出版制作にも携わる。