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どうしたいか解らない病の処方箋

2017.03.02

第八回 パリの「喰えなさ」(今年10周年のもの)

文/菊地 成孔

絵/瓜生 太郎

この10年間とは何だったか? エディ・レッドメイン以外、ハリウッドが安定的な男性スターを仕込めていないこの10年だけれども(バットマンになってもスパイダーマンになってもスター・ウォーズの主役になっても、パイレーツ・オブ・カリビアンの脇役になっても、ジャスティン・ティンバーレイクになっても、ベネディクト・カンバーバッジになっても、ジャスティン・ビーバーになってさえも! ハリウッドで天下を獲れなかった!)、それにしても自分と同い年であるブラピ、ジョニデが一斉に二枚目スターの座から降りた件は「63年問題(オレたち三羽烏が生まれた年)」と呼んで良いと思うのだが、まあこの話は全然本題と関係なく、とはいえオレたち全員ここ10年のあいだに離婚を経験してるよな! してないのはタランティーノ(同い年)だけ! あいつがソフィア・コッポラと付き合ってフラれたの10年以上前だし!! これも関係ない全然。エディ・レッドメインとジョージ・クルーニーに学ぼう。教訓は「同業者とは結婚するな。綺麗な弁護士や綺麗な投資家と結婚するべき」。このままだと全然関係ないうちに今回終わってしまう。

えーっと。今年10周年を迎えるものとは一体なんでしょうか? ここ2回、連続で箇条書きを入れたら異様に評判が良かったので今回も入れてみたい。それにしてもなぜウエブ版花椿の読者は箇条書きが好きなのだろうか? これも関係ない勿論。10周年にちなんで10個いこう。実際に10周年なのは(世界に)一つだけ(の花)である。

 1) リーマンショック

 2) 安倍晋三が首相に(世紀の大逆転)

 3) AKB48誕生

 4) 鳩山首相就任。「宇宙人」と呼ばれる

 5) ツイッターとかフェイスブックとかの日本語版開始

 6) auがiPhoneの販売を開始

 7) 「世界に一つだけの花」がヒット(ヒント出しすぎちゃったかなふふふふ)

 8) 「ロハス」が流行語に(今はミネラルウォーターの「い・ろ・は・す」にしか残っていないが)

 9) ハンカチ王子

 10) 東京タラレバ娘

 11) イナバウアー

しまった楽しくて1個多く箇条を書いてしまった!! と、正解は「ミシュラン東京」なのだが(まあまあ落ち着いて。予想はついていたでしょう箇条書きの中に正解がない事ぐらい)、あれを10冊コンプしている人いますか? ワタシはしている。

「え? あれって毎年、ほぼ同じ内容ですよね? そんなに重宝してます?」だって?これは全くカロンでいる(あえてのフランス語で「ディス」る。の意⇨calomnier)のではなく、重宝しているかしていないかで言えば、重宝はしていない。あれはミニマル・ミュージックみたいなもので、毎年ちょーっとだけ違う、ほぼほぼ同じものが、淡々と出ているのである(しかも、業界的には血で血を洗うようなマグマを湛えながら!)。

「では、その、ミニマル・ミュージックみたいな効果を楽しんでいらっしゃるのですかあなたは? 音楽家だけに? エレガントですなあ」と仰るかも知れないが違う。ミシュランが我々に示しているものはエレガントというよりもデカダンに近い。我々は、世界で一番外食が美味しい国に住んでいるので、もう「海外で美味しいものを食べる」という悦びを失っているのである。だってパリよりも美味しいビストロや、香港よりも美味い広東料理屋が代々木上原とか荒木町とかにずらっと並んでいるのよ。銀座だ日本橋だなんか言った日にゃあもう。感動を返しておくれよ我が国の勤勉で有能なシェフたち!! 適当にやろうぜ仕事なんか!!

とまあそれはともかく、ワタシはミシュラン東京の8割を暗記してしまっている。この10年間、ほぼほぼ同じだからだ。なのに何故ミシュランを買い続けるのか?

それは、あのミシュラン坊やみたいなキャラクターが日本で人気が出ないという事実に魅入られているからである。こんだけキャラクターが溢れかえっているキャラインフレの国で、他ならぬフランス代表ですよ!! 彼が好きで、彼のグッズをシャネルのトートバッグの持ち手に下げてレストラン通いをしているグルメ女子っているのでしょうか? っていうか、彼のグッズってあるのか?(検索しろよ等と仰るなかれ。検索は前回できっぱり止めた) 正式名称は確かミシュランマン。この名前だけで既にちょっと。

しかし、神に、特にフランスのクリスチャンの神に誓って言うが、これはカロンでいる(フランス語で以下同文)のではく、素晴らしいと思っているのだ。トレビっているのである。

駄洒落のような話だが、ワタシはフランス、特にパリという街の「喰えなさ」を愛している。あんな水回りが悪く、汚い場所はまるで東南アジアのゲトーのように汚く、環状線の外の治安が恐ろしく悪く、外国人観光客へのオスピタリテが当社比で10分の1以下の、つまり私にとって、とても素晴らしい街が、未だに高級ブランドを保って憧れられている事、つまり一種の文化的な誤解なのだけれども、グーグルアースをもってしても、この誤解。つまりパリの魔法は解けない。

そして彼が名前を「ミシュ」とかに変えたとて、その人気がミッキーやムーミンに及ぶ事はないだろう。つまりミシュランマンはパリの魔法を、ちょっと解いてしまっているのだ。パリのリアルを、三つ星の寿司屋や懐石の店の写真の合間を縫って、チラ見せしているのである。

なに与太とばしてるんだ、と思う方は、実際にミシュラン東京を手にとって頂きたい。腰巻にタイヤと一緒に並んでいるCG版の彼はまあまあ可愛いが、ひとたびページをめくれば、瞬時にして「無理だ」とわかるはずだ。昭和の新聞にあった社会批評漫画の筆跡ですよ!! しかもそれがレトロで可愛い。とはとても思えない。「ビブグルマン」という、星以下だが優秀な安価店(一食5,000円以下)につける称号もあって、それは星ではなく彼の顔で示されるのだけれども、これが「ビブグルマン」の「マン」と「ミシュランマン」の「マン」との駄洒落だと気付いた日には(BIB GOURMANDとは「グルメのマスコット」の意。つまり、ビブ=マスコットは彼自身の事であって、「グルマン」という「マン」はいない。因みにギルマンは半魚人の事だ)。

10年前、43歳のワタシは、あのミシュランが東京にやってきて、寿司屋やラーメン屋にまで星をつける。という事態をSF(やや厳密に言うとサイバーパンク。懐かしいでしょ。ブレードランナー35周年ですよ。今年の秋に続編が出るそうだけれども)だと感じたものだが、現実がSF感を帯び続けられる時間は短い。あっという間に(私感だと僅か2年ほどで)ミシュラン東京は日常感覚、つまりリアルに移動となった。ミシュランマンがパリのリアルをこっそりと、しかし勤勉に伝え続けている事がそれに尽力しているのは言うまでもないだろう。

菊地 成孔

音楽家/文筆家

1963年生まれの音楽家/文筆家/大学講師。音楽家としてはソングライティング/アレンジ/バンドリーダー/プロデュースをこなすサキソフォン奏者/シンガー/キーボーディスト/ラッパーであり、文筆家としてはエッセイストであり、音楽批評、映画批評、モード批評、格闘技批評を執筆。ラジオパースナリティやDJ、テレビ番組等々の出演も多数。2013年、個人事務所株式会社ビュロー菊地を設立。
http://www.kikuchinaruyoshi.net/

瓜生 太郎

イラストレーター

東京都在住。ファッションをテーマに女性を描くことを得意とし、シンボルマークのような図形的描写とシンプルな色使いが特徴。主な仕事に、銀座三越ウインドウディスプレイや表参道ヒルズシーズンヴィジュアルなどがある。
http://tarouryu.com/