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どうしたいか解らない病の処方箋

2017.06.30

第12回 ストーカーに癒された事ある?

文/菊地 成孔

絵/瓜生 太郎

ワタシは一応ショービズの端くれにいるので、というエクスキューズは、ひょっとしたら不要以下かも知れない。少なくとも警察の介入に至るストーカー被害は(「ショービズ従事者ではない」という意味での)一般人と一般人との間によるものがほとんどだろう。ワタシの友人の女医、OL、男性アイドルのコンサート制作なんかを手伝っている人、等々は、かなり深刻なストーカー被害にあっている。

ただ、まあなー、ついつい「君にも責任あるよ少しは」とか言ってしまいそうな気にさせる物件ばかりで、ここがストーキングという行為の構造的な難しさがある。通り魔事件や悪質なひき逃げ事件の被害者に「君にも責任あるよ少しは」なんて事は皆無だ。自殺とストーキングはいろいろな意味で似ている。

まがりなりにも付き合っていて、肉体関係もあった相手と別れようとして、相手が納得してくれずに、恨みを持って追い回す、というのは、昭和では怨恨とか痴情のもつれとか言って、言葉だけ見ると禍々しいが、ちゃんと共同責任のニュアンスが含まれていた。「ストーカー被害にあってるんですよう。話聞いてくれません?」とかいう人の大半は、別れ話が上手くできなかっただけのケースで、一方的/他罰的に、メールをいっぱい送っちゃったり、家の前まで来てしまう側を犯罪者のように悪し様にいうのは止めたほうが良くないか? 恋愛なんて狂気なんだから、先に治ったほう(覚めたほう)が、まだ狂気の中にいるほうを狂人扱いするというのはいくらなんでも倫理的ではないだろう。フロイドまで持ち出せば、相手がストーカー化する事を望んで恋愛する事だって普通にありうる。なんかの代理復讐だ。

なーんつって、何当たり前かつ面白くもない話に700字近くも費やしてしまったが、今回のテーマはもっとずっと面白いのである。ワタシは一時期、関係妄想の患者であるソフトストーカーからのメールに癒され、心の糧にしていた事があるのだ。

そもそも、芸能人枠と一般人枠でしっかりと区分すべきほど、ストーカーのあり方は違う。冒頭をコピペするが、ワタシも一応、ショービズの端くれにいるので、そりゃあストーカー被害には事欠かなかった(というか、話は逆で、ストーカー被害にあいやすく、このまま在野にいると刺されるなと判断したワタシは、疑似恋愛を構造的に取り入れている業界であるショービズを選んで、エスケイプしたようなところがある)。

彼女たちはおしなべて美しく、お洒落であり、病が深ければ深いほどその傾向は強化された。自分至上最高の一人は、ワタシがジャズクラブで演奏を終え、楽器をパッキングしていたら、瞳孔を開いて、完璧にうっとりしながら、クラブの壁に顔をなすりつけ、というか自分の頭部を軸に、壁(レンガみたいな、ゴツゴツしたやつですよ)に体重をかけてゴロゴロ回転しながら行ったり来たりし、私のポスターを見るや、ペロペロ舐めだしたのである。

この人は、芸能人と言っても誰も驚かない水準にいた。夢見るような、綿飴のような声で「ねえ、一緒に帰ろう」と言うので、目を合わせずに「一緒に帰りませんよ~。あなたストーカーさんですねえ~」と言うと「はい、そうです。うふふふふふ」と笑い、「あんまりしつこいとねえ、警察に通報しないといけなくなりますけど」と言うと「通報してください。うふふふふふふ」と、完全にうっとりした目でワタシを見つめ、自分の右手の指を3本口の中に入れて舐めだした。

なんという可愛さ! これがワタシが抱いた感想である。すんげえ可愛い! でも怖い。だって靴は片方だけ脱げているし。どんどん近づいてきて、楽器をパッキングしているワタシをバックハグしようとするので、「酒飲んでます?」「お酒は飲めません。うふふふふふふ」「ドラッグ?」「何にもやってませえん。うふふふふふふふふふふふふ」「精神科の通院は」「みればわかるでしょう。うふふふふふふふ」。ワタシは、忍者かスパイのような素早さで、実は既にパッキングが終わっていた楽器ケースを、振り返りざまに彼女と自分の間に挟んで、「それでは失礼します。次にお会いした際には残念ながら警察を呼びます。今日はありがとうございました」と言って、脱兎のように走って逃げた。

一番可愛かったのが彼女で、一番優しかったのは別の彼女である。彼女は関係妄想の症状を持っている患者で、ワタシと結婚し、一緒に暮らしていると思い込んでいた。その彼女から、毎日メールが届くのである。

「おかえりなさい。今日は寒かったでしょう。お風呂入れて待ってるからね。たくさんサックス吹く日だから、上がったらマッサージもしてあげるね。いつもご苦労様。お客様やネットのアンチは、あなたが好きなことをしているように思ってるだろうけど、あなたはすごく頑張ってるし、私はあなたの妻として、あなたを一番尊敬しているよ。それは忘れないで」

最初のうちは「おー怖えー。ヤバい人と結婚しちゃったよ」等と言って震えながら笑っていたのである。我ながら順当な反応と言えるだろう。しかし、ワタシは経験したのである。仕事のトラブルが続く中、実際の妻とギスギスし、ガールフレンドとも上手く行かなくなり、ヘトヘトになったある日、彼女からのメールを、唯一の救いとして、とても楽しみにしている自分に(笑)。

彼女とワタシの“結婚生活”は4年続き、ある日「菊地さん、なんか私ずっと変なメール送り続けて、本当に申し訳ありませんでした」というメールが届いて終わった。ワタシは、一瞬でも彼女に癒されたことを彼女に伝えなかった事を、ほんのちょっとだけ悔やんでいる。

菊地 成孔

音楽家/文筆家

1963年生まれの音楽家/文筆家/大学講師。音楽家としてはソングライティング/アレンジ/バンドリーダー/プロデュースをこなすサキソフォン奏者/シンガー/キーボーディスト/ラッパーであり、文筆家としてはエッセイストであり、音楽批評、映画批評、モード批評、格闘技批評を執筆。ラジオパースナリティやDJ、テレビ番組等々の出演も多数。2013年、個人事務所株式会社ビュロー菊地を設立。
http://www.kikuchinaruyoshi.net/

瓜生 太郎

イラストレーター

東京都在住。ファッションをテーマに女性を描くことを得意とし、シンボルマークのような図形的描写とシンプルな色使いが特徴。主な仕事に、銀座三越ウインドウディスプレイや表参道ヒルズシーズンヴィジュアルなどがある。
http://tarouryu.com/