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今月の詩

2020.11.02

のりでごはんを巻く

詩/高岡翔子

脳みその隙間
ぜんぶまで。

うぶ毛の一本、爪の一枚
ぜんぶまで。

のりで
ごはんを巻くが
占めている。

自ら選んでこうしているのだ。
美味と思うからこうしているのだ。

粥をただ口に運ばれている頃とは
まったく違うのだ。

ダウンロードが完了しつつある。

これはお祝いだ。
自分を自分が手に入れた、お祝いなのだ。

 

 

選評/穂村 弘

 自分の味

 自分という存在の獲得についての詩だと思う。「粥をただ口に運ばれている頃」の幼い<私>は、自分以前の何かだった。それは仕方がない。だって、世界にどんなものがあるのかをまだ知らず、手も足も出せなかったのだから。これは嫌だ、好きじゃない、と思っても、赤ちゃんにできるのはただ泣くことだけだ。でも、今は違う。この世界から「自ら選んで」きたものたちの「ダウンロードが完了しつつある」のだ。その集合体としての自分。「自分を自分が手に入れた」と思えることがとても嬉しい。
 この世界から「自ら選んで」きたものとは何か。例えば、それは「のりでごはんを巻く」だ。非常に具体的かつピンポイントなところが面白い。既存ののり巻きともおにぎりともお鮨の軍艦巻きとも違う。結果的にそれらに近づいたり、たまたまそれらの形を取ることがあったとしても、あくまでも本質は「のりでごはんを巻く」なのである。今、<私>はのりでごはんを巻いている。「自ら選んでこうしているのだ。美味と思うからこうしているのだ」。口に入れたら、きっと本当の自分の味がするのだろう。