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今月の詩

2023.11.01

秋の家へ

詩/よるの木木

季節のはなしなんかして
はぐらかしてはいないのです あき
はじまったのげん もう
はじまってる きつねの家
かぜが ふいたの
気づきましたかその かぜ
あなたのからだにもううすくもう
貼りついて
みればわかる
あなたの皮膚もう秋がまつわりついて
ころも 解かれたてんぷらみたいに
ほとけたしっぽは
森のなかのきつねのおうちの
とんでいく埃 うすいそら スナック錠

ひとつひとつならべて
みましょうか秋の しる し
とびこんできた落ち葉によそって
季節の はな し
なんかしてはぐらかしてはいないのです
あなたと話すの何回目かな たぶん
数回目 きみの
うまれた季節のはなしをしているの
みるみる生えかわるきみはむく毛
かぜ吸いばむの しってはいたけど
ゆれてる穂 わたしの臓をぶ刺すげん
きつねのおうちの森に ふたりして しのびにいく
秋が、
いちばんすき はっぱみたいに
りんりんと
鈴のぱさぱさになれる

 

 

選評/暁方ミセイ

 独特のリズムが、なんだか癖になる詩。
 何度読んでもわからない部分があり、そこがこの作品の魅力です。まるで、秋風が吹き、森や林が落ち葉で彩られ、生き物がふさふさの尨毛を蓄えていくにつれて、語り手の言葉がきつねたちの世界に溶けていくみたい。言葉が、忘れられていくその途中で、生々しいものへと脱皮していくかのようです。
 げん、は、例えば「弦」という漢字を当てることができるかもしれません。たわんだ弦が弾かれて、震えが音になり、びいーんと体に伝わる感じ。秋風の、凛として、どこかそわそわさせる、あの心を攫っていってしまいそうな感じがよく出ていると思いました。
 でも、季節のはなしなんかして、はぐらかしてはいないというのは、一体何のことなのでしょう。そう思って読み進めると、「うまれた季節のはなしをしているの」という行に出会います。人間はいつも、お互い当たり障りのないはなしばかりをしているけど、本当は心のどこかで自分や相手のいのちを感じているものだと思います。季節という循環と、きみという一度きりの存在の、その交差地点で、語り手は「わたしの臓をぶ刺すげん」を感じとり、いのちのお祭りのような森へ入っていくのです。