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今月の詩

2017.10.02

ベントの糸

詩/砺波湊

ベント、というらしい
上着の裾の切れ込みにも名前があって
センターベントとか サイドベントとか呼ぶんだって

ときどき そのベントに
細くてちいさなバツ印を見つけることがある

電車を待っているとき
前に並んでいる人のコートの裾にあったり
エスカレーターで二段上にいる人のジャケットの裾に
ちょこんと載っていたりする

ひょろりとしたバッテンの正体はしつけ糸で、
売っている間に、ベントが広がらないように縫われたのを
買ったときのまま、うっかり糸を切らずに着ているらしい

しつけ糸のバツ印を見つけると
何だかちょっと嬉しくなる

細くて、よわっちくて、へにょへにょなバッテンが
服の持ち主の目を逃れながら
胸を、じゃなくて糸のからだを伸ばして
今日も街を行き交っている

選評/文月悠光

導入がとても自然です。ベントの切れ込みを繋ぐ、しつけ糸のバッテン印、ジャケットなどややかしこまった服に使われている印象があります。だからこそ〈ちょこんと載って〉とか〈ひょろりとしたバッテン〉とか、〈糸のからだ〉を意識した表現に可笑しみを感じます。〈街を行き交〉う動作の中にも〈バッテン〉の形がひそんでいるのに気づき、秘密を見つけたように私も嬉しかったです。