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今月の詩

2023.03.01

四月四日

詩/佐藤悠花

日本酒とうにの味のげっぷ
誰もいないけど無音でする
お母さんのしつけは
品をおしえてくれた
夜になるまでの時間に
意識が小走りで集まってくる
そして列を形成する それまでの
昼間の時間は怖い時間で
画面の上から下へお話を追って
しがみついていないとまた
広い場所に向かって逃げていって
いなくなってしまいそうで

いまのからだを形成している
無数のちいさな私たちが
灰色のレースカーテンと
二千円のデスクランプと
片付けたひな人形の
ひしもちゼリーの台に
載せてみたちょっとした
金魚鉢みたいな
水差し
三月末 誕生日のお花の
きれはし
影のなかに透ける
光と泡の妖しい雰囲気
江戸時代から全員で
必死につないできた
嫁入りと子宝と
家族の願い
プレッシャーに縛られなければ
ひとりずつ逃げていっちゃいそうな
私のこと
夜になって
ようやく意識を取り戻して
起き上がるの
ひとりおとなが生きてくこと
既にこんなに
寂しいなんて
花びんから一本だけ選んで
ほかの人は見捨てて
育てるなんて

お母さんの実家では
ひなまつりは月遅れ
一つ歳を取り終えて
そういうこと
これからもずっと
嫁に行き遅れたのではなく
無責任とか言わせたくないから
風習だからしまうのを遅らせてる

 

 

選評/大崎清夏

 月遅れのひなまつり。つるつると数珠つなぎに繋がってゆく夜の夢想のような詩だ。けれども主題ははっきりしている。「ひとりおとなが生きてくこと」。「既にこんなに/寂しいなんて」に、若い語り手の実感がこもっていて、切ない。
 脈々と何世代も受け継がれてきた女性性の具体的な描写、音をたてずにするげっぷや、灰色のレースカーテンや、誕生日のお花、そういったものの配置がひとつひとつ効いている。否応なく教えに従い、絡めとられ、「プレッシャーに縛られ」ながら、それに真っ向から刃向かうのでもなく、なおも「お話を追って/しがみついてい」る「私」の所在は心許ない。そのような「お話」や「風習」の外に、まだどこにも軸を持つことができずにいるような、おとなになることも、おんなになることも、ふわふわと受けいれることしかできていない自分を正面から見つめて書かれた、正直な詩だと思う。
 高らかに自由を表明し、逃走を宣言できれば清々しいけれど、それだけが詩ではない。こんなふうに、自分の現在地をありのまま受けいれて、柔らかく受け流すことを可能にさせるのも、詩のひとつの効用なのだ。