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Now, Then!

GIRLS ROCK BEGINNINGS VOL.01 大貫妙子[前編]

2020.05.27

撮影/鋤田正義

取材/山中聡、君塚太 文/君塚太

ヘア/成澤雪江 メイク/KOTO

日本を代表する女性ミュージシャン達が、初めて音楽に触れた瞬間を語ります。未知の文化と出会い、日々の生活が大きく変わっていった実感。未来への扉が開かれ、一気にキャリアが広がっていった体験。彼女達のイノベーションには、あなたのワナ・ビー=自分はこうなりたいと願う理想像を実現させるためのヒントに溢れています。
 第1回のゲストは大貫妙子さん。大貫さんは少女~学生時代を東京・杉並区周辺で過ごし、1973年、21歳になると山下達郎さんらとシュガー・ベイブを結成。日本で初めてともいえる都会的な描写に溢れたポップス・アルバム『ソングス』でデビュー。76年以降は、当時、数少なかった女性シンガー・ソングライターとして活動を始めました。坂本龍一さんなどとともにつくり上げてきたオリジナル・アルバムや、世界19ヶ国で公開された映画『Shall we ダンス?』(周防正行監督)の主題歌でも知られ、その静謐で深みのある歌声は熱心な支持を集めています。特筆すべきは、現在も新しい音楽を生み出し、国境と世代を越えたリスナーを獲得していること。自分らしいライフスタイルを維持し、年齢を重ねたことが、大貫さんの息の長い創作活動を支えています。
 デヴィッド・ボウイ、T. REX、YMOなどのミュージシャンを撮影し続け、今をなお世界各国で写真集が出版、個展も開催されている写真家・鋤田正義さんの撮り下ろしポートレイトとともに、大貫妙子さんの言葉をじっくりと味わっていただければと思います。

「ステレオの前」を独占して 音楽を聴き続ける女の子

 音楽に夢中になったのは、小学校の低学年からですね。4年生くらいまでは、ジャンルを問わずという感じでした。自宅のステレオの前に陣取って、とにかく一日中。母が好きだったクラシックや父が持っていた軍歌、子どものための歌のソノシート、岸洋子さんの「夜明けのうた」とか。なかでもプラターズの「煙が目にしみる」が入った4曲入りのEP盤は洋楽で最初に気に入った曲だと思います。EP盤もドーナツ盤も、今も持ってます。歌詞も全部覚えちゃったので今でも歌えます(笑)。
 小学校4年生の時に、父の仕事の都合で引っ越したのですが、その後、経済的窮困に。レコードの殆んどと、習っていたピアノも全てなくなっちゃった。音楽のない毎日に耐えきれず、友達のお姉さんがずっとFENを聴いていたのを知って、それを聴きたいがために、しょっ中その家に遊びに行ってました。
 部屋から流れてくる曲をワクワクしながら聴いてました。中学の頃は、6歳上の兄が持っていたLPを兄のいない時に。ほとんどジャズ系でしたが。ニーナ・シモンの渋い歌声も好きでした。でもダントツ好きだったのは1966年の『セルジオ・メンデス&ブラジル’66』。むちゃくちゃカッコよくて!「マシュ・ケ・ナダ」から始まるそのイントロから、全10曲全てがいい曲なんですよね~。今もそのLPを持っていますがホントーに音がいい!私のお宝です。

鋤田正義さんがジャケットを撮影した81年のアルバム『AVENTURE』のジャケットで使われた写真。この撮影以来の再会となった

誰にでも夢中になれるものは 必ずひとつ、見つけられる

 私にとっては音楽でしたけど、今の若い人達にも何か夢中になれるものに出会ってほしい。日々の生活のためには、お金も必要だし、我慢しなくてはならないことも多いと思います。
 でも「それ」に没頭している自分は、ただ夢中で時の経つのを忘れてしまう。それが今の世の中の大多数が興味を持たないものでもいいんです。気づいたら平気で6時間くらい経っていた。そんなものに出会えたら、一生続けられますよ。私も自分で曲をつくるようになってから、母親に「ごはんよー」と声をかけられても、「いま、曲のいいサビができそうなところなのに!」って、ピアノの前から離れられませんでした。
 世の中には色々な仕事があって、すごく小さな部品なのに世界を変えるような技術が含まれているものを、長い時間をかけてつくり出している人もいますよね。そういう方達も、楽しくてしょうがないんですよ、きっと。有名になろうとか、稼ごうとか、あまり考えていないと思う。音楽も同じですよ。シュガー・ベイブをやっている頃なんて、もちろんバンドの収入だけでは食べられずに、バイトもしていたけれど、演奏している時は楽しくてしょうがなかった。そういうものに出会えるか、夢中になれるものを見つけられるかは、本当に大事だと思います。
 自分が何をしたらいいか分からないと、迷っている方も多いと思います。なんとなく仕事を始めてみたけれど、自分に向いているかどうか自信がないと思う人がほとんどでしょう。でも、絶対に一つはある。「なんでこんなに夢中になれるんだろう、楽しいんだろう?」という瞬間が。そして、その瞬間は持続へと繋がる一歩なんですよね。これから世の中は、世界は変わります。
 もしかしたら絶好のチャンスかもしれません。

スポンジのように文化を吸収 社会への扉を開く

 若い時って、好きなものに対する集中力もありますが、吸収力があるんです。もともとそんなに興味のなかったことでも、与えられたことによって、面白ければどんどん吸収できる時期なんですよね。私も20代の頃、言われたことがあります、「君はスポンジか」って。
 1980年代のはじめ、広告業界が最先端だった時代があって、テレビのコマーシャルも面白いし、コピーライターの方々が脚光を浴びていました。その当時、青山にK’sバーというお店があって、広告業界の人達が仕事の後、よく集まっていたんです。それで夜の9時とか10時くらいになると、私のところに「妙子ちゃん、K’sバーで飲んでいるから来ない?」と電話がかかってきて。1人で出かけていくと、口角泡を飛ばしながら、みんながものづくりについて話していて……私が「こんばんは」と挨拶しても、「うん、ちょっとそこに座ってて」なんて言われるだけで、その後は誰もこちらに声もかけてくれない。ずっと「私、呼ばれたから来たんだけどなあ……」と思いながら話を聞いていると、何かをつくることってこんなに熱狂するんだ、面白いんだと、熱が伝わってくるんです。
 まあ、先輩といえどもみんな若かったし、もっと若い私は影響されました。バンドの仲間だと、音楽の話が中心になるので、それ以外の突っ込んだ話って、そう頻繁にはしないものなので。政治のこともどんどん話題にする広告関係の人達の会話が余計に刺激的だったのかもしれない。なんか社会へ向けて扉が開かれていく感じがして。楽しい時間でもあったし、緊張もしていて、チョコンと座っているだけなのに、耳だけはビーンと立てているみたいな(笑)。

「男女共学」の距離感で 自然に世代を越える

 彼らの会話を聞いていて、その中に出てきた本や映画のタイトルをメモして、後で読んだり観たりもしました。今、こんなカメラマンがすごい、あのデザイナーが面白いなんて話も、よく分からないままメモしたりして。音楽仲間とは、新しい情報と言えばとにかく、音楽のことだけでしたし、またそれが楽しいんですが。また別の窓からの風を取り入れることの新鮮さがあって。とても勉強になったことは確かです。その場に集まっていた日本のコマーシャル文化をつくってきた方々は、私にとってはひと回り上の世代ですけれど、気にかけていただいてラッキーだったと思います。
 振り返ってみると、なんで私をその場によく呼んでくれたのか、よく分からないんですけれど、当時は女性のシンガー・ソングライターが本当に少なかったので、珍しさもあって、大事にしてくれているつもりだったのか……まあ、男女共学のクラスメイトみたいな、そういう感じだったと思うんですよね。気を使わなくていい女友達みたいな。これで私がすごくかわいかったりしたら、そういう感じにはならないと思いますが(笑)。

いつの間にかこうなった 「結婚願望ゼロ」の今

 私が音楽を続けてきた仕事の上では、男女の違いを意識したことはほとんどありません。企業に勤めたことがないので、一般的に言われる女性の地位や立場に関してはわかりません。きちんと仕事のできる人は性別に関わらないと思いますし。でも欧米に比べると、日本はまだまだかなりの男社会だなぁとは思います。音楽周りで働く女子の独身率はかなり高いですけど。だからと言ってそれに悩んでいる様子でもないし。子供の問題をのぞけば、婚期っていうのはとくにないのではないかと思いますけど。私自身は結婚願望ゼロです。というかゼロでしたね(笑)音楽と結婚しちゃったようなものなので。普通、女の子は「いつかはお嫁さんになりたいわ」とか「ウエディングドレスは着てみたい」と思う時期があるじゃないですか。私は幼い時から一度もなかったんですよね。どうしてだろうと考えても、思い当たらない。ずっと音楽に没頭していて、そのまま今に至る(笑)。
 20代から毎年アルバムを作り、ツアーをして、プロモーションをして、レコーディングに入ると帰宅するのは連日深夜ですし、曲作りの期間はピアノから離れることもできないし、結婚も子供も仕事もパーフェクトに手に入れるなんていうことは……。実際無理なんです。それでも夢中になった音楽と共に生きてきて、家族のようなスタッフやミュージシャンに支えられ、幸せですし今以上に望むことはございません。

「おひとりさま」に支えられて コンサートは「単独行動の集い」

 売れるということは、まず売れる音楽を作らなくではならない。でも、それがどのようなものであるか完璧にわかっている人はいないわけです。ならば自分の中ですでに鳴っている音楽を丁寧にかたちにして、それを支持して下さる方のために作り続けること。それが私の音楽に対する姿勢でしょうか。変わらず思うことは、お客さまは自分の鏡なのだということです。以前、コンサート中に、お客さまに「今日1人でいらした方、手を挙げていただけますか?」と呼びかけてみたら、客席の9割近くの方が挙手したんです!びっくりした、というより「やはり」と納得したんです。一人でお見えになる方の気持ちはとてもよくわかるんです。「つるまない」方たちなんですね、私がそうなので。
 みなさん「隠れ大貫ファン」なんて言っているらしくて、別に隠れなくたっていいのにと思うのですが(笑)、私のファンの方は全国に点で散らばっているようです。
 考えてみれば私もコンサートや映画を観に行く時は必ず1人なんです。ひとりでその世界に浸りたい、そしてその思いを大切に持ち帰りたいからなんです。誰かと行ってトンチンカンな感想とかを聴きたくない(笑)私は温かい「おひとりさま」に支えられているんですね (笑)。本当にありがたいと思います。そして、そういう方々がCDも買ってくれて、コンサートにも来てくださる、反面、「おひとりさま」は、なかなかにコワイ存在でもあります。だからこそ裏切らないように、一つひとつの作品を誠実に、つくっていきたいと思います。

『SUNSHOWER』
1977年にリリースされた2作目のオリジナル・アルバム。坂本龍一が全曲のアレンジを担当。アメリカのバンド、スタッフのドラマーだったクリストファー・パーカーを起用するなど、国内に限らず一流のミュージシャンを揃え、当時「クロスオーバー」と呼ばれていた最先端のサウンドを展開。現在、70〜80年代の東京で生まれた音楽が「シティ・ポップ」として海外の若者から人気を呼んでいるが、その流れの中心といってもいい名盤
『romantique』
1980年にリリース。加藤和彦、YMOらを迎えたヨーロッパをイメージした繊細な陰影を帯びた作品は大貫妙子のスタイルを確立した。続く81年の『AVENTURE』、82年の『Cliché』とともにヨーロッパ三部作と位置づけられる。インタビューで語られた広告関係者との交流は、この当時のエビソード。また、本作と続く『AVENTURE』のジャケット写真は鋤田正義撮影

クリエイターの紹介

大貫妙子

ミュージシャン

東京生まれ。73 年、山下達郎らとシュガー・ベイブを結成。76 年にバンド解散。同年『Grey Skies(グレイ・スカイズ)』でソロ・デビュー。以降、27枚のオリジナル・アルバムをリリース。CM・映画音楽関連の作品も多く、CMでは資生堂の85年春のキャンペーン・ソング「ベジタブル」、映画では『Shall we ダンス?』(96年/周防正行監督)のメイン・テーマ、第21回日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞した映画『東京日和』の音楽プロデュース(98年/竹中直人監督)などを手がける。エッセイ集『私の暮らしかた』(新潮社)など著書も多数。
近年は6名のメンバーによるバンドライブ活動のほか、Strings quartettoを中心とした《Pure Acousutic》コンサートを行う。ソロ・デビューアルバム以降のオリジナル・アルバムをアナログレコードとして順次再リリースし、それらの全世界音楽配信がスタートしている。
http://onukitaeko.jp/info/top.html

【大貫妙子さんのコンサートのご紹介】
『スノードロップ』大貫妙子 Guest 原田知世
日時:2020年9月26日(土)開演17:00
会場:新宿文化センター 大ホール
新宿文化センター公式サイト

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