次の記事 前の記事

Column

2017.03.27

津上みゆき「かつて時間であった線 かつて気配であった色」展

文/花椿編集室

前回、一人の作家の仕事を見続けることで得られる喜びについて書いたが、今回も同じことを書きたい。ギャラリーハシモトで開催している津上みゆきさんの「かつて時間であった線 かつて気配であった色」展で、また嬉しい発見があったのだ。

津上さんは、パステル調の淡い色彩と、たおやかで柔らかい線が持ち味という印象を持たれている作家だ。風景の素描をもとに仕上げていくのだが、対象は限りなく抽象化され、ほとんど元の景色を想像することは不可能になっている。

View-"Cycle" 26 Feb.,-10Apr., 05 〈Places〉(2005年 顔料・膠・アクリル・鉛筆、パネルに綿布 260×194cm)大原美術館蔵

しかし今回、ギャラリー・ハシモトで発表された新作は大きく変わっていた。

赤や青、黄色などの強い原色がふんだんに用いられ、筆遣いも太いブラシによる直線的なストロークが多用されている。以前の作品と比べて遥かに力強く、エネルギーがほとばしる画面になっているのだ。今回の作品は昨年、喜多方で滞在制作したときのものなのだが、風景もさほど抽象化されず、残像のように喜多方の街並みが留められている。

右 View, Kitakata, morning, 3 August 2016(顔料・アクリル、キャンバス 65.2×91.0cm)

何が彼女をここまで変えたのか。

本人によれば、2013年から数回に渡ってヨーロッパで制作したことが契機となっているという。津上さんはもともと、日本の風景を描くことを目的としてきた。しかし異国で暮らすことにより、日本人でなければ描けない風景を描くことを強く意識するようになったというのだ。対象としての日本から、主体としての日本に意識が移ったということだろうか。

左 View, Kitakata, at 11:10 am, 3 August 2016(顔料・アクリル、キャンバス 130.3×194.0cm)

だからといって、今回の変貌ぶりの説明にはなっていないのだけれど、鋭敏な作家の感性が、異国に暮らすことで何かをつかみ取り、新たな作風となって表れてくるのだろう。会場の一番奥に飾られていた作品は、喜多方のお祭りを描いたものだという。祭りの高揚感、躍動感がひしひしと伝わってくる。祭りをモチーフにしているだけではなく、祭りに共振する津上さんの心情が表現されている。日本人でなければ描けない風景画とはこういうことか。

View, Kitakata, from May to September 2016(顔料・アクリル、キャンバス 各150×63cm)

新しい作風を手に入れた津上さんがこれからどう変わっていくのか。興味は尽きない。だからこそ、見続けることをやめられないのだ。

GALLERY HASHIMOTO :http://galleryhashimoto.jp/

(樋口昌樹/花椿編集長)