鏡台に、あまりよりつかなかった。
8歳の頃、自分が女の子扱いされることを嫌い、ズボンばかり穿いていたし、パンフで見る映画監督たち(当時は男性監督しか知らなかった)のように颯爽と映画を撮る自分を夢見ていたからかもしれない。
ある日、爪切りを探して鏡台の引き出しを開けると……それまで見たことのない鮮やかな“Red”が現れた。臙脂色のまだら模様に金の縁のコンパクトたち。口紅の赤いふたを取ると深紅色が艶やかに光った。その全てに金文字で刻まれたINOUI……。それはまるで意志を持つように鋭く強く、美しかった。
見てはいけないものをのぞいてしまったのではないか、私は即座に引き出しを閉めた。母は優しくふくよかな専業主婦で、毎日キレイにメイクをし、厚ぼったい手で家族のために料理をつくり、私のためにワンピースを縫った。そんな母が、深紅色の紅をさす日があるのだろうか。強い“Red”と、母はひどく不釣り合いに思えてならなかった。
そして阪神・淡路大震災の日。NHKでドキュメンタリー番組のディレクターをしていた25歳の私は、明け方帰宅してお風呂に入っていた。午前5時46分、大きな音と強い衝撃に慌てて台所の食卓の下に潜り込む。
死ぬんだ、と思った。
そのとき、自分に覆い被さり、抱きしめる手があった。それが、母の手だった。その後母は、父の安全を確認し、深紅の紅を唇にさし、黙々と崩れた家を片付け始めた。
「彼女が美しいのではない。彼女の生き方が美しいのだ。」
これは、INOUIのキャッチコピーだ。美しさというものは、内面に潜んでいるもので、何かが起こったとき、大切な何かのためにあぶりだされる強さなのかもしれない。心から愛せるものを愛する覚悟。母の、その生き方が、このとき初めて美しいと思えた。
数年前、解体される実家の鏡台から、ひとつだけ、母の深紅色の口紅を持ち出した。それも昨年、監督作の映画『Red』を完成させる前に失った。けれど、自分の作品が初号試写で上映されたそのとき、スクリーンに映し出されたのは、“迷いながら、誰かを傷つけまた傷つきながら、必死になって心から愛せるものを見つけ、愛する覚悟を決めた女性の姿”だった。50歳になった私の身体の深部にも、すでに“Red”が存在していたと気づいた。
私は、自分自身が心から愛せるものを、愛している。