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偏愛!資生堂

2019.03.12

第29回 青柳文子 × ナチュラルグロウ

いつか母を超えたい。それが20代の私の仕事の目標でした。
数十年前、私の母はモデルの仕事をしていました。日本人なら誰もが知るあらゆる企業の広告に出演し、2、3年程でやめました。自らの苦い経験からか、芸能界にだけは入らないでとずっと念を押されていたけど、気づけば私は母と同じ道を志し、今に至ります。

母が出演したもので唯一見たことがあったのがこちらの広告のナチュラルグロウのTVCMで、母のキャラクターを知っているので「春なのに、コスモスみたいな気持ち、わかる?」のセリフの最後に、はにかみ笑う若かりし母を見て「これつい笑ってしまった、NGカットでしょ!」とつっこみたい気持ちは山々でしたが、これが当時のお茶の間に流れていたのだと思うと、照れくさいような、でも少し誇らしいような、不思議な気持ちでした。

春なのにコスモスみたい(ナチュラルグロウ)1973 model:青柳雅子 artdirector:水野卓史 designer:八村邦夫 photographer:寺島彰由 copywriter:小野田隆雄
春なのにコスモスみたい(ナチュラルグロウ)1973 model:青柳雅子 artdirector:水野卓史 designer:太田和彦 photographer:寺島彰由 copywriter:小野田隆雄

そんなことから私の中で、資生堂は少し特別な存在になっていたのですが、思えば少女時代に印象に残っている化粧品のCMはいつも資生堂で、一色紗英さんの「ピエヌ」、元JUDY AND MARYのYUKIさんの「ヌーヴ」など、曲とともに今でも脳内ではっきりと再生できます。「FSP(フリーソウルピカデリー)」も本当に大好きで、お小遣いを貯めて集めていました。今は無いブランドたちですが、お化粧を覚え始めた中高時代の情景に、はっきりと色鮮やかに残っており、それこそ使っていた色までも覚えています。それらのアートワークは私の美的感覚を養ってくれたし、コーポレートメッセージである「一瞬も 一生も 美しく」、このことばは、私の美意識の礎となりました。美術学校に通い始めてからは、仲條正義さんの存在を知り、『花椿』は私の中でレジェンドとして遠い遠い位置付けに。なので今こうしてこの文を書き認めているのも畏れ多く、正直ちょっと気が気でなくことばがうまく出てきません。「いつか資生堂の広告モデルになるのが夢です」と軽口を叩けるような図々しさを身につけない限り、私の夢は叶うことはなさそうです。

いつやめるのかと言われ続けながらも未練がましくこの仕事を続けていた私は、いつか母に、あなたを超えられない、とこぼしたことがありました。資生堂製品に関わる仕事は幾度となくしてきたけれど、大々的なキャンペーン広告のモデルはできていない、と。そのとき母はこう言いました。「私の時代のモデルはただの着せ替え人形、文子は自分のことばで人にものを伝えている。仕事の質が違う」。
私はとても救われました。そして、あぁ、この人は母なのだなと思いました。紛れもなく、私の母なのだな。母はただ母であり、私が超えられるわけもなく、超えるべきものでもなかったのです。
モデルとしての敬意は、母として人間としての尊敬に変わりました。私も人の親となった今、こんな風に子どもに安堵や自信を与えられるような人にならなければ。こんな私の物語を、いつか娘が読むでしょうか。彼女の物語の中に、資生堂はどう映るのでしょうか。大きくなったら、尋ねてみたいと思います。

ただいま青春(MG5) 1973 model:草刈正雄、染谷久男、青柳雅子 art director:犬山達四郎 designer:中山禮吉 photographer:小川隆之 copy writer:細川拓一朗

青柳文子

俳優/モデル

独創的な世界観とセンスで同世代からの高い支持を得る。雜誌の他、映画、TVドラマ、バラエティ番組、アーティストMVと多方面で活躍中。企業商品プロデュースや執筆業など様々な分野で多彩な才能を発揮している。主な出演作品に『知らない、ふたり』(2016年)『四月の永い夢』(2018年)など。
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