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偏愛!資生堂

2017.02.21

第7回 朝吹真理子 × ピエヌ マスカラ

文/朝吹 真理子

Photo/Chihiro Tagata

ジェニファー

 私は四肢の細さに比して異常なまでに腹部の突きでた児童だった。給食を食べているときに、隣に座っていた男子から、「朝吹の腹ってすげえでてるな…」となかば感心したように言われたことがある。腹部がでていることを恥ずかしいと思う心もなかった。あのときダイエットなどしないでほんとうによかったと思う。

 小学六年生にもなると、早熟なクラスメイトは、すでに体毛を剃ったり、眉毛を整えたり、色つきのリップクリームを塗ったりしていた。いっしょにドラッグストアでリップを選んだりしていたが、どの色も私にはかわいすぎてみえた。いちごマークとか、チェリーの香りとか、そういう甘さに抵抗を感じていた。

 私が強く憧れていたのは、ジェニファー・バトゥンというロックギタリストだった。彼女はマイケル・ジャクソンのバックバンドでギターを弾いていて、来日するたびライブを観にいっていた。

 女の子がおかざりでギターを持たされて漫然とコードだけを押さえているのとは異なる、高度なギタープレイだった。ジェニファーはぴちぴちのブラックパンツをはき、長い金髪を逆立て、目を黒く縁取りしていた。フライングVをかき鳴らし、高速タッピングをし、スタッズのついたごついライダースを羽織る。しかしどこか礼儀正しさみたいなものもある。私はそれに影響され、持っていたすべてのリカちゃん人形をハサミでジェニファー風にカットしたりした。

 ロックミュージシャンへの憧れが漠然とあったときに、ピエヌが発売された。「メイク魂に火をつけろ。」という惹句とともに、黒いシースルーのドレスを着て、きりっとした面立ちの女性たちがうつる。ほほえまない女性ばかりが登場するピエヌのCMが流れた。PNというロゴのスタイリッシュさ。そのCMは私のなかでジェニファーに痺れるものと同様のかっこよさがあった。

 小学生には高額すぎる化粧品だったので、母を説得して、スーパーの化粧品コーナーに連れて行ってもらい、マスカラを買ってもらった。

 その後、同級生の井上さんの家でひらかれた、SPEEDや安室奈美恵のまねをして使い捨てカメラで撮影し合う、という謎の会に参加した。私はピエヌを忍ばせてゆき、満を持して、ジェニファーのギタープレイを演じた。いままで自分でお化粧をしたことがなかったので、マスカラが顔のあらゆるところにくっついた。両目を黒くさせて、エアギターで踊る私を、井上さんが無言で撮ってくれた。

朝吹 真理子

作家

1984年 東京都生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。2009年 処女作の「流跡」を『新潮』に発表し、小説家デビュー。同作で2010年 第20回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を史上最年少で受賞。2011年 3作目である「きことわ」で第144回芥川賞を受賞。(撮影・新潮社写真部)