ジェニファー
私は四肢の細さに比して異常なまでに腹部の突きでた児童だった。給食を食べているときに、隣に座っていた男子から、「朝吹の腹ってすげえでてるな…」となかば感心したように言われたことがある。腹部がでていることを恥ずかしいと思う心もなかった。あのときダイエットなどしないでほんとうによかったと思う。
小学六年生にもなると、早熟なクラスメイトは、すでに体毛を剃ったり、眉毛を整えたり、色つきのリップクリームを塗ったりしていた。いっしょにドラッグストアでリップを選んだりしていたが、どの色も私にはかわいすぎてみえた。いちごマークとか、チェリーの香りとか、そういう甘さに抵抗を感じていた。
私が強く憧れていたのは、ジェニファー・バトゥンというロックギタリストだった。彼女はマイケル・ジャクソンのバックバンドでギターを弾いていて、来日するたびライブを観にいっていた。
女の子がおかざりでギターを持たされて漫然とコードだけを押さえているのとは異なる、高度なギタープレイだった。ジェニファーはぴちぴちのブラックパンツをはき、長い金髪を逆立て、目を黒く縁取りしていた。フライングVをかき鳴らし、高速タッピングをし、スタッズのついたごついライダースを羽織る。しかしどこか礼儀正しさみたいなものもある。私はそれに影響され、持っていたすべてのリカちゃん人形をハサミでジェニファー風にカットしたりした。
ロックミュージシャンへの憧れが漠然とあったときに、ピエヌが発売された。「メイク魂に火をつけろ。」という惹句とともに、黒いシースルーのドレスを着て、きりっとした面立ちの女性たちがうつる。ほほえまない女性ばかりが登場するピエヌのCMが流れた。PNというロゴのスタイリッシュさ。そのCMは私のなかでジェニファーに痺れるものと同様のかっこよさがあった。
小学生には高額すぎる化粧品だったので、母を説得して、スーパーの化粧品コーナーに連れて行ってもらい、マスカラを買ってもらった。
その後、同級生の井上さんの家でひらかれた、SPEEDや安室奈美恵のまねをして使い捨てカメラで撮影し合う、という謎の会に参加した。私はピエヌを忍ばせてゆき、満を持して、ジェニファーのギタープレイを演じた。いままで自分でお化粧をしたことがなかったので、マスカラが顔のあらゆるところにくっついた。両目を黒くさせて、エアギターで踊る私を、井上さんが無言で撮ってくれた。