これまで会ったことのない人間に出会った時、
さらにその人が「美しさ」という部門で、これまでに出会ったことのない人間だった時、心と目がクギ付けなる。また同じ人間のはずなのに、別の生き物のような気がしてくる。
「美人」の初体験といったらいいのか、それは21歳のころだった。面白いのが初対面ではなく、以前にも会ったはずの人だったこと。その時の印象は、「色白でかわいらしい人だな」くらいだった。それから半年後に会った時、わたしは震えた。
見た目でまずわかるのは、少しスリムになっていたことと、センスが磨かれていたこと。何か生まれ変わったみたいに思えた。何かが変化していた。その「何か」が、美しさの秘密かもしれなかった。恋をしたのかもしれなかったし、彼女自身の「何か」革命がおこったのか。
究極の美人ではない、不思議な不思議な人だった。
この世のものとは思えない、風貌と風格が漂っていて、ただそばにいることが、架空の世界に思えた。うちに泊まりに来て隣に寝ていても、一緒にご飯を食べていても、その場だけ、その時間だけ、別の世界だった。
その彼女はいつも、花椿マークの入った八角形の白い缶を持っていた。それは傷だらけで凹みもあって、長いこと愛用しているのがわかるものだった。その中には彼女の大切な金の糸、切手、押し花、レースが入っていた。蓋をあけると甘いいい香りがした。わたしはその缶の中身が、もとはビスケットだとはつゆ知らず、彼女の美しさによく似合う香りだなあと思っていた。
その後、初めてこのビスケットを頂いた時、ビスケットの焼印とツヤの美しさを眺めた。バターの風味と、どこか懐かしいような、フランス・モンサンミッシェルの伝統菓子のガレットクッキーにも似ている、濃厚でサクサクと軽く甘い味。昭和初期から作られているという。ということは、戦争の最中の作れぬ時代も経ての、大ロングセラーだ。きっと昔はたいそう高級で貴重だっただろうバター。その歴史とともに、ありがたく頂こうと思いながらビスケットを食べ切ってしまうと、白い缶が、あの甘いいい香りと一緒に残ったのだった。
さて、またその美人の話に戻る。
彼女はしょっちゅう「美しい」という言葉を放っていた。川面の光を見ては「美しい」と。ピアノの旋律を「美しい」と。わたしの瞳も「美しい」と褒めてくれた。植物を愛でてはまた「美しい」という。「美しいものが大好きなの」とその彼女はよく言っていた。
彼女にはしばらく会っていない。
幽霊だったのか、本当に幻だったのかもしれないと今でも思うが、今は2人の子供のお母さんをしているらしい。いつか会いたいと思いながら、いつか自然に会える気がしている。あの美しい花椿のロゴマークと白いビスケット缶を見ると、その美しい人を想わずにいられないのだ。