私の睫毛。
中学一年の時に初めて買った化粧用具。
睫毛を上げるというただその為だけの使命をもって作られた銀色のカーブの背中に浮かぶ文字。
母の鏡台で慣れ親しんだ資生堂の文字を無意識に選んだのだろう。
私の瞼の彎曲はこのカーブに合わせて変化、成長を遂げてきた。
このカーブは、私の瞼そのもの。
すぐに物を失くす私だが、このビューラーを紛失したら私の瞼と睫毛は一体どうなってしまうのだろう。
一緒に消えて失くなってしまいそうだ。
透明マスカラ、ロングラッシュマスカラ、ボリュームマスカラ、ウォータープルーフマスカラ、赤いマスカラ、緑のマスカラ、あらゆるマスカラを変遷し、今はもうマスカラはつけない。
それでも変わらずビューラーは毎日使っている。
今日も綺麗な上向きにできた。
母は化粧が上手で、いつでも綺麗な人だった。
資生堂の薔薇の匂いがする母。
母はずっと私のお手本だった。
母の鏡台にあった200円の眉墨鉛筆でねこ髭を描いていた私は、今、あの頃の母のように、母みたく、上手に化粧ができるようになった。
仕上げはいつも、ビューラーで睫毛を上げること。
ビューラーだけは、母よりも上手な自信がある。
資生堂は母のものだけれど、資生堂のビューラーだけは、私のものだ。
私の睫毛。
色とりどりの、母の瞼。
化粧をし、瞼に色を塗り、最後に睫毛を立ち上げて、出来上がった鏡に映る向こう側の私は、私ではなくて、母の顔をしていた。
こうして私は私ではなくなって、だんだんと、母になってゆくのだ。
そして母は母でなくなって、私へと還ってゆく。
どこからともなく、薔薇の匂いがする。
私達よ、いつまでも美しく。