私ほど池袋西武に足繁く通う人間はいない。皆勤賞が欲しい。特に思い出深いのは、リブロ、WAVE、そして食堂街にあった資生堂パーラーだ。「資生堂パーラー」という金文字の看板と真っ白なテーブルクロス。食堂街のなかでひときわ目立つ存在だった。小学5年のときに初めて詩の本を買ったのはリブロの「ぽえむぱろうる」で、213曲すべてを暗記したほど大好きなビートルズのCDを初めて買ったのもWAVEだった。リブロ閉店の日、尊敬する辻井喬さんの詩集を最後にカゴに入れた。
資生堂で一番付き合いが長いのは資生堂パーラーのストロベリーパフェだ。母に買ってもらった本やCDを眺めてパフェを待つのが好きだった。十五、六の頃、靴の先が学校の方向へ向かないときは、「バンド・オン・ザ・ラン」を口ずさみながらよくリブロに入った。ある日、もうだめだと思ったとき、西武の資生堂パーラーに逃げ込んだ。バニラとストロベリーソースが合わさったときのなんとも形容しがたい薫り高さ。希望の味がした。学校をサボったであろう子供を迎え入れてくれたお店の人たちは素晴らしく、こんな大人になりたいと思った。財布の中身は空っぽになったが、心はいっぱいになった。ストロベリーパフェは私にとってボクシングのバンデージのようなものだ。バンデージがただの包帯ではないように、ストロベリーパフェもパフェ以上の意味を持っている。折れそうになった心を防御してくれた。
『花椿』No.819に詩を掲載していただいて、「パフェみたいだ」と思わず呟いた。パフェのように好きなものがたくさん詰まっている。寄稿した詩はポール・マッカートニーの曲から着想を得たもので、819は5歳の頃から大好きな前川清さんの誕生日(8月19日)だ。ポールと清ちゃんは私のヒーローだ。そして、あのストロベリーパフェの資生堂から原稿の依頼をもらえるなんて夢みたいだった。銀座の資生堂パーラーに一人でお祝いをしに行った。注文したのは「盟友」のストロベリーパフェだ。デパートのものより少し華やかだが、昔と変わらない。胸が高まるような味も、素敵なお店の人たちも。変わったのは財布の中身がすっからかんにならなかったことだ。
いま、考現学の創始者であり資生堂とも縁のあった今和次郎についての博士論文を書いている。今和次郎はかつて資生堂ギャラリーの展示を手掛け、弟の純三は大正期に2年ほど意匠部に在籍していた。博論が完成したら、ストロベリーパフェでお祝いだ。