実際に、銀座の地を訪れ、かの資生堂パーラーへ遂に足を踏み入れることができたのは、ずっと大人になってからのことだった。そこで私は、クラシックなボタンのついたエレベーターに乗り、白いクロスのかかったテーブルで、苺がのったケーキを食べながら、完全にうっとりしたのだったが、そう、思えば、その紙袋は、長らくずっと憧れだった。
ブルーにゴールドがあしらわれたその紙袋。
それをはじめて見たのはいつのことだったか。
我が家では可愛い紙袋や包み紙なんかは必ず捨てずにとってあって、それを三人の姉たちが、せっせと手帳やノートに巻いたり、プレゼントをしまったりして、いつまでも大切に使っていたから。おそらくそれは誰かから頂いたものだったに違いない。とはいえ、その中身は、いつもあっという間に食べられてなくなってしまったから滅多にお目にかかれるものではなかったが。
大人になって銀座の地へ毎日行くことはできずとも、資生堂パーラーのお菓子を頂いたり、買ったりは、できるようになった。
そんな時の私は、いつも浮かれて、ちょうど洒落たハンドバッグを手にするようにして、その紙袋を見せびらかしながら、近所の通りを歩いている。