僕は京都に生まれ京都で育った。
まだ小学生の頃、ブラウン管の中から聞こえてきた『トウキョウ ギンザ シセイドウ』の小気味のよいCMの音が今も鮮明に思い出される。
もちろん化粧品は母、姉たちが楽しむものであって全く僕に関わりのない世界であったものの、このCMのテンポのよさと垢抜けた印象を幼いながらに感じ口ずさんでは、姉たちの笑いを誘っていた。
そして今、僕は京都で現代アートのギャラリーの運営と展覧会企画にも力を注いでいる。
若い作家たちが明日食べていけるか分からない中で、自分の表現を伝えようとする熱い思いと姿勢に幾度、感動しただろう。
2007年、喜ばしい事に資生堂ギャラリーで所属作家であった伊庭靖子が、グループ展「椿会展」に参加した。
あの幼い頃にブラウン管で見た資生堂と今こんな形で繋がった不思議を感じながら、素晴らしい展示に感激したのを今でも覚えている。
時間がかかるものの作家が結果を出していく様は、本当に何にも代えられることのない喜びである。
そしてもうひとつ30年以上携わっている世界、それは西洋美術の世界である。
実はこの世界が僕の基盤であり、この仕事があるからこそ、それ以外の仕事が運営できると言っても過言ではない。
美術ディーラーをしていた父の仕事の関係で、幾度となく訪れていたヨーロッパ。
僕が魅了された エミール・ガレ、ドーム兄弟、ルネ・ラリック。
フランスが生み出したアール・ヌーボー、アール・デコという様式を用いて、ジャポニスムの影響を受け、生涯フランスガラス工芸界に功績を残した職人たちである。
彼らは作家ではなく今でいうアートディレクターとして、自分の表現したい世界をイメージし、それを形にできる最高の技術を携えた職人を使い育て世の名声を博した。
彼らの名品と呼ばれる作品の中にたくさんの香水瓶やパウダーボックスが存在する。
つくり手である男性たちは、女性の身の回りの趣向品を製作する事により、それが口コミで宣伝となり、香水瓶を量産するという形で企業から発注がかかるきっかけをつくりだした。
母や姉たちの鏡台に鎮座していた資生堂化粧品たちのパッケージも、どことなくアール・ヌーボーやアール・デコなどの影響を受けた世界感であった様な記憶がよみがえる。
欧風文化を感じる洒落たクラシックの世界と思いきや、ヌーボーやデコは確実に江戸時代の日本の名工たちのつくりだした工芸などの影響を受けていた事を忘れてはいけない。
あの時代をリアルに生きた淑女たちの日常であったそれらが、今では美術品となり僕はディーラーとして今を生かされている。
どの時代も、美しいものへの憧れと見た事のない世界への追求心は変わる事なく、さまざまな形となって影響しあって受け継がれている。
『トウキョウ ギンザ シセイドウ』
とうとう頭から離れなくなってしまったCMの言葉を口ずさみながら、キーボードを叩きながら懐古的に浸る自分に一笑。