前の記事

蓮沼執太の月一音一盤

2022.05.16

蓮沼執太の月一音一盤 今月の一枚、 Chris Watson “El Tren Fantasma”

文/蓮沼執太

 

今月のテーマ:

今回のテーマは「旅」です。5月16日は「旅の日」と制定されています。松尾芭蕉が「奥の細道」の旅に出たのがこの日と言われています。現在の日本においては、まだ移動するには制約が多いですが、音楽を聴きながら、世界各地の風景を想像することは可能です。その音楽が醸し出す場所の空気の音や時代の音を感じることは、音楽リスニングの醍醐味とも言えます。今月は、2011年に英国レーベルTouchからリリースされたChris Watsonのアルバム『El Tren Fantasma』をピックアップします。クリス・ワトソンは「キャバレー・ヴォルテール」というイギリスのインダストリアル・バンドで活動をして、現在はBBCの音響技師でもありながら、フィールド・レコーディングを基礎とした作品発表において第一線を歩んでいるサウンドアーティストです。国際展『あいちトリエンナーレ2016』にも参加して、サウンド・インスタレーションを展示していました。僕自身も フィールド・レコーディングを始めるきっかけになったのは、彼を始めとする同時代的なフィールド・レコーディングの音世界の豊かさに気づいたことでもあります。音を通して、オーディエンスに想像力を働かせていく作品は非常に刺激的です。

このアルバムはすべてフィールド・レコーディングでつくられています。舞台はメキシコです。ロス・モチスからベラクルスへ、太平洋から大西洋へ、国を横断する電車の旅の音物語です。メキシコは正確には中南米に位置しますが、まさしく「奥の細道」的なサウンドダイアリーでもあります。CDアルバムに記載されているシンプルなクレジットによると、ミュージック・コンクレートの創始者であるピエール・シェフェールにインスパイアされた、ということで完璧な音響芸術でもあり、音楽としても楽しめる作品です。彼は職業でもあるBBCのシリーズ“Great Railway Journeys”の番組収録として参加して、約1ヶ月間電車に乗って、音を記録していきました。彼の世界にはいわゆるヒーリング・ミュージックのような「癒し」はありません。しかし、圧倒的な録音技術により、アンビエント・ミュージックよりも深さを感じる音響世界をつくり上げており、自然音や機械による騒音もすべて均一に音として捉えられています。また電車旅というコンセプトが現前させる物語が、聴き手にとっても音の旅行として体験できる点も明瞭です。

電車の車輪の連続した音がまるでクラブで体験するかのようなビートに聴こえてきます。電車がつくり出すキックとスネアのコンビネーションを聴いていると気づかぬうちに自分の身体がリズムに乗っていることでしょう。駅のアナウンスもどこかラップのようなセリフに聴こえ、電車騒音と思われる音もインダストリーのように渦巻きながら訪れるものの、どこか気持ちよく響きます。ワトソンが感じた旅の記録を通して、僕たちがその感覚を通した学びによって、音を聴く側の身体や意識、そして感性に深く働きかけます。このアルバムを聴きながら、脳内メキシコ横断の旅をしてみましょう。

蓮沼執太

音楽家

1983年、東京都生まれ。音楽作品のリリース、蓮沼執太フィルを組織して国内外での コンサート公演をはじめ、映画、演劇、ダンス、音楽プロデュース などでの制作多数。近年では、作曲という手法をさまざまなメディアに応用し、映像、 サウンド、立体、インスタレーションを発表し、個展形式での展覧会やプロジェクトを活発に行っている。2014年にアジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)、2017年に文化庁東アジア文化交流使として活動するなど、日本国外での活動を展開。主な個展に『Compositions』(ニューヨーク・Pioneer Works 2018)、『 ~ ing』(東京・資生堂ギャラリー 2018)など。最新アルバムに、蓮沼執太フィル『ANTHROPOCENE』(2018)。『 ~ ing』(東京・資生堂ギャラリー 2018)では、『平成30年度芸術選奨文部科学大臣新人賞』を受賞。
http://www.shutahasunuma.com/