今月のテーマは「声」です。韓国・ ソウル生まれのアーティスト、イ・ラン『オオカミが現れた』を紹介します。素直でいることは難しいですよね。しなやかで強く、大きな優しさを持った人でさえ、自分に、そして他者に対しても素直でいること。なかなかできることではありません。僕はイ・ランの活動から「素直」を感じます。それは性格的な素朴な純粋さという意味ではなく、なにか行動を起こすときに必要な「核」のようなものです。「ブレない心」とも言い直せるかもしれません。それは強さでもあるし、脆さでもある。優しさでもあれば、厳しさも同居するような「素直」。
このアルバムは表題曲である「オオカミが現れた」から始まって、終曲「患難の世代(Choir Ver.)」で締められます。この2曲には合唱団オンニ・クワイアがゲスト参加しています。イ・ランの声だけではなく、合唱団による異なる声が交わることで、アルバムの表情が大きく変わっていきます。この世界には自分の声だけではなく、さまざまな人々の声が存在します。生きている中で、それらすべてに耳を傾けることは難しいですが、自分が関わりをもった人々や事柄に対して、耳を澄ませて、声を聴いて、反応していくこと。そして自分にできる行動をする。そういった一連の物語が、音楽として現れているのがこのアルバムです。中心にイ・ランの声があって、そして他者の声もしっかりと内側に存在している。他人の物語を聴いているようで、実は自分の日々の生活という物語に近づいてくるような不思議な感覚があります。
先日ソウルにいるイ・ランと東京にいる僕とでセッションをしました。このアルバムに収録されている「意識的に眠らないと」という楽曲を演奏しました。ソウルにいるイ・ランにこの詩を朗読、そして歌唱した映像を事前に収録してもらい、その映像に合わせて僕が合わせるように音を重ねていくようなパフォーマンスでした。とあるビルの屋上で彼女は横たわって、愛猫と一緒に和んでいる。その中で「眠れない人はどれだけ多いだろう」、「毎晩眠ることが戦争なのはなぜ」、「みんなどうやって眠るのだろう」、「意識的に眠ろうとすればいいはず」と問いかけるように、詩と歌を続けます。眠るという行為への問いかけ、生活のささいな違和感を表します。そこには明瞭な答えがあるわけではありません。生物は寝るときは寝るし、起きているときは起きています。そんな風にして一日が始まり、おわっていく。ごく自然に生きています。その間に僕たちの中に生活の物語が生まれています。誰にでもある物語で、どれひとつとして同じものがない物語。その真摯な姿勢に僕も感化されます。
サウンド・プロダクションも非常にユニークな質感で聴き応えがあります。先に述べたオンニ・クワイアによる合唱は大きなモチーフでもありますが、今作もイ・デボンによる多様な楽器演奏はアルバムの幅を大きく広げています。このアルバムに収録された一曲「対話」 でのアカペラのアプローチも面白く、まさしく対話が行われているコンポジションも素晴らしい。室内楽的なアコースティックな音響の中にイ・ランの言葉が響き、シンセサイザーの振動は、アンビエントのように楽曲を包み込んで、時には楽曲に緊張感を与えるようなところもあり。アルバム全体を統一感あるムードにしているのは、大城真さんによるマスタリングの仕事でしょう。そして、イ・ランのアコースティック・ギターから感じる「歌」は本当に特別な存在です。ギターの響きには言葉の意味は無いはずなのに、そこには凛とした雰囲気をまとった意志を感じます。どんな状況であっても、自分を想い、そして他者を想う。当たり前のことを行動するのがどこか難しく感じる現代社会で、このアルバムを聴いた後、生活の中で毎日行ってきたことが愛おしく思えたり、また新たに何かをはじめてみる。そんな気持ちにさせてくれる音楽です。僕は彼女のエッセイや文章も大好きです。音楽を通してだけではなく、さまざまな媒体で自身の行動を表していく。そんな姿勢も僕に勇気をくれます。これを読んでいるみなさんも、イ・ランの音楽やテキストから、人々の人生や声を感じてください。