第二回のテーマは自由です。音楽にとって自由というのは永遠のテーマでもあります。もしかするとそのテーマに向かって僕たち音楽家は作品をつくっているのかもしれません。今月は武満徹さんが31歳のときに作曲した「ピアニストのためのコロナ」という作品をセレクトします。ジム・オルークさんによる演奏で、2006年に録音された音源です。この盤は「コロナ 東京リアリゼーション」と題したアルバムになっています。「コロナ」と聞くと、どうしてもウイルスを思い浮かべてしまいますが、これは「太陽コロナ」を意味していると思われます。太陽の外層大気の最も外側にあるガスの層です。皆既日食のときに王冠状の光としてみられます。このタイトルの理由は譜面にあります。この作品の譜面は、いわゆる五線譜に書かれたものではなく、武満さんがグラフィック・デザイナーの杉浦康平さんと共に創作したグラフィック・スコアなんです。図形楽譜とも呼ばれるこの譜面は、青、赤、黄、灰、白の5枚の色紙に、それぞれ2つの同心円が描かれていて、その円周にそってさまざまな記号が描かれています。それぞれの色紙には演奏のアプローチが指示してあるのですが、1枚ずつ演奏してもいいし、複数枚を重ね合わせて、またズラして演奏することもできます。どうやって演奏するかは自由です。作曲家は紙の色彩や記号で大きく楽曲の方向性はつくっているものの、実際には演奏者がその色紙や指示を紐解きつつ、最小限の規定の中で、自由に楽曲を創造することができる。とても変わった方法で奏でられる音楽作品ということがおわかりいただけるでしょうか?
作曲者ならば、自作の曲をそのコンセプトや意図を演奏家に忠実に守って、上演してもらいたいと思うはずが、あえて五線譜ではなく図形楽譜を用いることで、演奏者へ委ねる試みが感じられ、その変化を作曲者も楽しむような余白を感じます。作曲家の手を離れて、作品自体が自由に形を変えて、時代を超えて、音となって世界に響いていきます。この作品は高橋悠治さんのリサイタルのために武満さんが作られ、1962年の初演では作曲家の一柳慧さんとお二人で演奏されています。武満さんから高橋さんへの贈りものとも言えると思います。レコーディングされている高橋さんの演奏されたこの作品は、大河が大きく流れるような強烈な演奏です。図形楽譜だからこそつくられる視覚的な要素と音に変換される聴覚的な要素が偶然的につくり出されていきます。とてもプライベートな雰囲気を持つ作品ですが、時が経ち、奏者がかわれば、その音も現代の響きとなります。時代が変わるにつれ「ピアニストのためのコロナ」は、そのときの演奏者から武満さんへの贈りものになるのではないか、そんな気もしてきます。
僕が大学生のときにジムさんが「ピアニストのためのコロナ」を演奏されたアルバム「東京リアリゼーション」はリリースされました。武満さんがお亡くなりになって10年という記念作品でもあったようで、東京オペラシティでも武満さんの展覧会「武満徹 Visions in Time」展が開催されていました。録音されている武満徹の音楽は全部聴き漁ったと思っていた自分はこのアルバムを聴いて、心の底から驚きました。なんて自由なんだ、と感銘を受けました。過去にもこの「ピアニストのためのコロナ」を演奏された録音盤はあるものの、それらとは一線を画すものでした。このアルバムには、ハモンドオルガン、ピアノ、エレクトリックピアノ(フェンダーローズ)が使用されています。同楽曲の2ヴァージョンが収録されており、同じ楽譜でもここまで違う音楽になってしまうのか、という驚きがあります。どちらも20分以上ある時間尺であり、その演奏時間もジムさんが最初に決めたもののようです。演奏されるシーンの時間を厳密に決め、そこで使用される楽器を決めていったそうです。これらの鍵盤楽器を重ねて録音されていながらも、どこかノイズのような、違和感がある音が随所にちりばめられています。それはピアノの音色です。グランドピアノの中に、マレット、棒、ゴム、プラスティック、鐘などさまざまな素材を入れ込み、ピアノの鍵盤を弾くだけではなく、内部の弦に物を当てて接触させることでユニークな音をつくり上げています。その内部奏法も無闇に変わった音を出そうとしたものではなく、とても音楽的であって、情緒と緊張感を行ったり来たりさせており、その音に強い必然性を感じます。
そして最後にアルバムのアートワークも印象的です。武満さんとゆかりの深かった画家・難波田史男さんの絵をジムさん自身が選んだそうです。図形楽譜という演奏者の想像を刺激するスコアから、いかに自由に音楽から飛んでいけるか?そんな作曲家からの挑戦に対して、素晴らしい音で応えているジムさんの姿勢にリスペクトをします。この音盤をきっかけに武満徹さん作品、ジム・オルークさんの作品も聴き漁ってください。