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GIRLS ROCK BEGINNINGS

2021.08.27

GIRLS ROCK BEGINNINGS Vol.06 小泉今日子[後編]

撮影/鋤田正義

取材/山中聡、君塚太 文/君塚太

編集/辛島いづみ ヘアメイク/山口恵理子

 前編(記事はこちらから)では、家庭と学校でごく自然に幅ひろい音楽を聴くようになった小泉今日子さんが、友だちとのおしゃべりの延長の感覚で受けたオーディションに合格。デビュー後は迷いもありましたが、「まっ赤な女の子」をきっかけに、新しいアイドル像が見えてくるまでが語られました。後編では、日常の遊び場での出会いと作品づくりが表裏一体になり、さまざまなクリエイター、ミュージシャンを巻き込んでいく小泉さんの制作スタイルが確立されたプロセス、「株式会社明後日」設立以降の活動のベースにある、「宝探し」をキーワードにした思いにも触れています。
 デヴィッド・ボウイなどの撮影で知られる世界的な写真家・鋤田正義さんによる、世界の街角に小泉さんが迷い込んだような撮り下ろしポートレイトと共にお楽しみください。

トップ・クリエイターと「一緒に遊ぶ」感覚

 「まっ赤な女の子」をきっかけにして、どんなことにも挑戦する気持ちになれたし、なんでも楽しんでやってみようと思うようになりました。レコーディングの機材とか楽器が進化して、どんどん音楽が新しくなっていく時代でもあり、そういう流れを次々と取り入れていく気合いもあったと思います。「まっ赤な女の子」は佐久間正英さんにアレンジしていただいたのですが、シンセサイザーのピコピコとか、時代と遊んでいた感じですよね。ディレクターも含めてみんなで「新しいおもちゃが来た」「じゃあ、使ってみよう」。そんな感じでした。
 作曲家の筒美京平さんにも、ディレクターの田村さんは「一緒に遊びましょう」という雰囲気でオーダーしていたと思います。「まっ赤な女の子」では「シンセを使って面白い曲をつくりましょうよ」とか、「なんてったってアイドル」(85年)だったら「秋元康さんに詞を書いてもらって、思い切ってこんなコンセプトでいきましょう」と言っていたと思うんです。筒美さんに対しても遊びに誘っていたんだなあと、大人になってからよく分かったんですよね。
 松本隆さんに詞をお願いしても、(松田)聖子さんの楽曲であれば男性側からの理想像というか、三歩下がって付いていくような女の子が描かれていて、それが素晴らしい作品になっていますが、私に書いてくださった作品では自由な感じの、どんどん先に進んでしまうような女の子が主人公でした。ビンタしたりもして(笑)。「水のルージュ」(87年)だったら、逆にすごく大人っぽい詞だったり。本当に皆さん、他の歌手の方に提供するときとは違う、いろいろなタイプの作品を書いてくださったんだなと思います。当時は気づかなかったのですが、今改めて、自分の曲の中から宝探しをするような気分を味わえています(笑)。
 近田春夫さんとアルバム(『KOIZUMI IN THE HOUSE』89年)を一緒につくったのは、もともと大ファンだったからです。(近田春夫プロデュースの)ジューシィ・フルーツが中学生のときに大好きだったし、小暮徹さん(写真家)、こぐれひでこさん(イラストレーター、エッセイスト)ご夫妻の家で疑似家族のように過ごしていた時期があって、ごはんをご馳走になったり、レコードもいっぱい聴かせてもらっていたので、ハルヲフォンやビブラストーンも聴いていました。それで「次のアルバム、どうする?」という話になったとき、近田さんのことが頭に浮かんで。お会いしたら、最初に「言っとくけど、俺、今はハウスにしか興味がないから」と言われて、「じゃあ、それでお願いします」と(笑)。横浜のご自宅まで行って、デモテープをつくったりしましたね。

ミュージシャンたちとの交流

 その後、同世代のミュージシャンたちも、だんだん頭角を現してくるんですよ。スカパラ(東京スカパラダイスオーケストラ)がいて、スチャダラパーがいて、オリジナル・ラブやフリッパーズ・ギターもいて。みんな交流があったし、第二、第三の青春が始まった時期でしたね。JAGATARAのOTOやEBBYちゃんも一緒にいつも束になって遊んでいて、三宿のZESTの一番大きいテーブルに誰かのライヴの終わりで集まって、フローズン・マルガリータをガンガンに飲んだりしていました(笑)。
 90年代までは、みんなが集まれるような、音楽で遊べる場があったことも大きいですよね。芝浦のGOLD、六本木のイエロー、下北沢にもZOOがあって。私は10代の頃から原宿のピテカン(ピテカントロプス・エレクトス)に自転車で行っていたんですけれど、それはスタイリストのお姉さんから誘われて奥にある社員食堂みたいなところで定食を食べていたんです(笑)。階段を下りると、ミュート・ビートがライヴをやっていて、その先に桑原茂一さんが座っていて……それを横目で見ながら帰ろうとしたら、教授(坂本龍一さん)に会って、「もう帰るの?」「西麻布のTOOLS BAR、今日は盛り上がるから」なんて声をかけらられました。その頃はまだ未成年だったので「すみません、帰ります」とご挨拶したりして(笑)。そんな感じで交流が広がっていったんですよね、いろいろな人たちと。私はアイドルだったのに、なんでそんなところに出入りしていたのか、自分でも謎なんですけれど(笑)。
 ミュージシャン以外にも、いろいろなジャンルの人と交流がもてました。デザイナーもいたし、編集者の方もいました。秋山道男さんとは写真集やミュージック・ビデオのコンセプトにも関わってもらいましたし、その後、川勝正幸さんにも本当にお世話になりました。

国境や時代を超えた文化の「宝探し」

 私がずっと聴いてきた音楽、好きだったサブカルチャーやファッションは、今の若い人たちにも引き継がれていますよね。国とか時代とかに関係なく、勝手に80年代や90年代のカルチャーの中から宝探しを始めているような感じで。アナログ的な感覚を含めて、ちゃんと自分たちの世代のものにしているんじゃないでしょうか。
 私は最近、BTSがすごく好きなんですけれど、例えば「Dynamite」では振り付けがマイケル・ジャクソンへのオマージュになっていたり、「Butter」ではクイーンの曲(「Another One Bites The Dust(地獄へ道づれ)」)のビートをうまく取り入れていたりとか。「わー、なんか、ありがとうございます」と思っちゃうんですよ(笑)。そこには美しいサークルが生まれている気がして、本当に嬉しいし、感動するんです。日本でも同じようなことは起きていて、あいみょんちゃんの音楽から伝わってくるフォークの香りも、きっとそういうことなんだろうと思います 。例えば「写ルンです」がまた流行るとか、カセットテープが売れているとかも、全部つながっているんじゃないですかね。

「面白いこと、いっぱいあるよ」と伝えたい

 今の時代に、私が「明後日」という会社でやろうとしているのは、そんな大げさなことではないんです。演劇を舞台でやることがむずかしい時期なので、来年以降の準備を進めながら、小規模のプロデュースは継続していて、津軽三味線奏者の小山豊さんと俳優の山野海さんの語りのユニット「tagayas(耕す)」のライヴをやったりしていますが……そうだな……「面白い人、いっぱいいるよ」「面白いこと、いっぱいあるよ」と伝えたいだけなんです。
 Spotifyでやっているポッドキャストのオリジナル番組(『ホントのコイズミさん』)も、オファーをいただいたときに、コアなところに絞り込もうと思って、「本をテーマにしましょうよ」と言ったんです。最近の本屋さんは多様化していて、ファッションにおけるコンセプトショップ、セレクトショップみたいなお店が増えているんです。例えばフェミニズムに特化していたり、LGBTQ+の本ばかりを出版したり、韓国文学だけを売っていたり。だから本屋さんが持っているいろいろな想いを届ければ、聴いている人の扉を開けたり、次の行動につなげることができるんじゃないかと。だからスタジオにお招きするんじゃなくて、その本屋さんでロケをして、「次の休みはここへ行っちゃおう」というアクションに結びつけられるような番組にしました。ポッドキャストのいいところは自由度が高いところ。それと既成の曲はかけられないので、逆手にとって番組のオリジナルの曲をつくりました。ルールを破るのではなくて、ルールの抜け道を探すアイディアは結構浮かんでくるタイプなんですよ、私(笑)。

「再現」はケガをする。「アップデイト」を意識

 若い頃から現在に至るまで、私は身体にいいことをしてきたという自覚がないんですよ。運動も特にはやっていないですし。もともと身体は強いみたいで、人間ドックに行っても、内臓はほぼパーフェクトって言われるんです。あんなにお酒を飲んでいたのに、という話もあるんですけれど(笑)。
 でも、50代になって、すっかりお酒には興味がなくなってしまいました。飲みには行かずに、とっとと家に帰って、ネコとたわむれながら、好きな映像を観て1日が終わっていくのが今は好きです。食べることにも、そんなに執着がないですし。サラッとごはん食べられればいいという粗食派です。野菜が好きで、あんまり脂っこいものは食べない。意識しているのは、筋力をつけるためにタンパク質を摂ることくらいです。
 最近2回ほど配信ライヴをしていて、リハーサルをやってみたら、すべて原曲のキーで歌えたんです。「えっ、何か身体にいいことやっているの?」「摂生しているの?」とスタッフに驚かれたのですが、本当に何もやっていないですから、不思議でしょうがない。40代までは飲みに行って、最後はいつもカラオケで締めていたのが、結果的に鍛えることにつながっていたのか(笑)。歌以外にも舞台をやったり、演技のお仕事で声を出す機会が多かったので、人よりたくさん喉の筋肉を使っていたんじゃないかという説もある(笑)。
 原曲とキーが同じだといっても、若い頃の自分を再現するつもりで歌っているわけではないんです。再現するつもりでステージに立ったら、ケガをします(笑)。どんなことでもそうだと思いますが、やはりアップデイトって絶対必要なんですよ。アップデイトすることを意識していれば、50代でも歌える「なんてったってアイドル」が見つかるはずだと思います。

黄色いマンション 黒い猫
「原宿百景」のタイトルで雑誌『SWITCH』に連載された33篇に特別書き下ろしを加えて単行本化。今回のインタビューでも触れられているように、ティーンエイジャーの頃から足を運び、暮らしていたこともある原宿をテーマにした自伝的エッセイ集。若き日の思い出と改めて歩く原宿の風景を重ね合わせて描く。2016年、スイッチパブリッシング刊。
小泉今日子書評集
2005年から2014年まで、『読売新聞』で読書委員を務めていた小泉今日子が、同紙読書欄に発表した書評97本に、新たなコメント、インタビューを加えて出版した書評集。本のレコメンダーとして評価が高い小泉によるブックガイドであり、10年の間に彼女の興味の対象が移り変わっていく記録でもある。2015年、中央公論新社刊。

小泉今日子

歌手/俳優/文筆家/プロデューサー

1966年、神奈川県厚木市生まれ。1982年、「私の16才」でデビュー。以降、多数のヒット曲をリリース、俳優としてドラマ、舞台、映画でも活躍。50歳を迎えて、2015年に株式会社明後日を設立。明後日がプロデュースする演劇公演を続け、『日の本一の大悪党』では演出も手がける。また、脚本家・坂元裕二と俳優・満島ひかりによる「全国へゆこうか!朗読ジャーニー『詠む読む』」、ジャンルレスの音楽発掘イベント「GO→TO」、下北沢の本多劇場からライヴ、トーク、演劇、朗読など新しい文化の息吹を伝える「asatte FORCE」などのシリーズをプロデュース。他に、師弟のような間柄だった演出家・文筆家の故・久世光彦が14年間書き続けたエッセイを受け継ぎ、その世界を朗読とピアノ、歌でよみがえらせた舞台『マイ・ラスト・ソング〜久世さんが残してくれた歌〜』(2016年、2018年、2020年)、無観客配信ライヴ『唄うコイズミさん』(2020年)、『唄うコイズミさん 筒美京平リスペクト編』(2021年)など。2015年、シス・カンパニー公演『草枕』の演技で第50回紀伊國屋演劇賞個人賞受賞。エッセイ、書評にも定評があり、著書も多数。2016年刊の『黄色いマンション 黒い猫』(スイッチパブリッシング)で講談社エッセイ賞受賞。
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