恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表の清田隆之と、『みんなの恋愛映画100選』(オークラ出版)の選者も務め、人から話を聞くことを専門とするライターの小川知子が、さまざまなフィールドで活躍する方々と「ことば」について多角的に考えていく連載。今回は、映画『ドライブ・マイ・カー』で(21)でカンヌ国際映画祭脚本賞などを受賞し、新作映画『悪は存在しない』(4月26日)の公開を控える監督濱口竜介さんと「ことば」について話します。
役者をカメラの前に立ちやすくすることばたち
小川知子(以下小川) 映画『悪は存在しない』を観終わった後に、うまく言語化ができないズーン!と来るものがあって、心がものすごく動かされたままでおります。
清田隆之(以下清田) 僕も小川さんと一緒で、なんとも言えない気持ちにすごくなってます。
小川 濱口さんの過去作を振り返っても、ことばはあくまできっかけで、ことばに頼りすぎない映画だなと強く感じています。『悪は存在しない』は、ライブパフォーマンスのための映像をつくってほしいという音楽家の石橋英子さんの依頼から始まった企画とのことですが、脚本の段階でのことばのチョイスや距離感は普段とは違ったのでしょうか。
濱口竜介(以下濱口) 違った部分も普段通りだった部分も、どちらもあると思いますね。ご指摘のように、ライブパフォーマンス用のものをつくることが前提だったので、セリフは最低限にしなきゃいけないというのは、一応頭にはありました。あまりセリフがあっても、パフォーマンスと組み合わせたときに、十分に機能しないだろうとは思っていたので。とはいえ、その割にはセリフが多いと思われるような気もします。たぶん、映画の中のセリフには二つ役割があって、ひとつは物語の情報を観客に伝えること。もうひとつは、役者さんに働きかけることです。これは常日頃から感じていることですが、役者さんにとってセリフを言うという体験は、おそらくすごく強度があるんですよね。
清田 強度というと?
濱口 役者さんがある意味をもったセリフを相手役と交わし合って、そのことばにある感情が伴ってくることがあります。やりながら「こういうことなのか」とわかって、役者さん自身が、役の時間を体験する。そのこと自体がいわゆる役づくりにもなるのでは、と。セリフがあることで、役者さん自身が本読みしたり実際に演じる際に、役や状況への理解が深まる手がかりが増えると思っています。限られた時間の中で、フィクションの中のひとりの登場人物を立ち上げるためにも、必要なことば数というのはあるような気がしています。そのためにいつもはその数が多くなってしまう傾向があるんですけど、本作では必要なものに絞り込めたな、という自分の中での満足感はあります。
小川 役者の方たちが役の時間を体験する手がかりとして、最低限必要なテキストということなんですね。
濱口 そうですね。実際のところ、セリフで物語を推進する部分と微妙なバランスでやっているんですが、これを発することで役者さんが演じやすくなる、カメラの前に立ちやすくなるセリフであるように、とはずっと思いながら書いていますね。
清田 役の時間を体験するということばがありましたけれど、例えば、『悪は存在しない』では、グランピング場建設を企画する芸能事務所が地域の人たちに向けた説明会を行うシーンがありますが、質問したり、反論したりする地元住民のセリフが、土地の歴史と自分の生活や身体がつながっている人たちのことばというふうに感じて、グッと来ました。もちろん演技なのだとは思いますが、皆さんどのようにことばを身体化していたのかなと気になったんですが。
濱口 まあ、どこまでのことが役者さんの中で本当に起こっていたのかはわからないですが、ただ、主演の大美賀均さんに関して言うと、実は、元々製作スタッフとして参加をしてもらっていた方なんですよね。脚本を書くためにリサーチをしていたのですが、彼はドライバーとして一緒に回ってくれて、地元の方々の話を本当にたくさん聞いたんです。今回は、石橋さんの発案だったので、彼女のよく使うスタジオのある山梨と長野の県境のあたりで撮影しているのですが、石橋さんに地元のご友人を紹介していただき、その方にガイドしていただきながら自然の中を歩いたりして。
小川 その方が、大美賀さんが演じた巧さんのような、自然のプロ!みたいな方だったんですね。
濱口 そうなんです。実際は70歳くらいの方なのですが、水に関することばも、その方が実際に発されたものを使ったりしてます。我々は所詮その土地の人間ではないですが、大美賀さんの場合は、実際に聞き、歩いた時間が非常に多かったので、この映画が向かってる方向性やキャラクターをすごく理解しやすかったんじゃないかなと。私自身もリサーチの中で、地元の方の生きた時間を感じられることばを拾って、自分が感じるところのあったものをセリフにすることはしていました。そういうことが役を身体で理解することにつながったかもしれません。
都市から自然に移動する、間の経験を積み重ねて
清田 この連載では、現実に起きたこと、考えたこと、感じたことを全てことばで説明したり、言語化したりすることは不可能だとは思いつつも、言語に頼っていかざるを得ない部分もあるので、言語化を諦めないという二つの引き裂かれた気持ちがありつつ、ことばについてこれまでも話し合ってきました。その観点で、『悪は存在しない』は都市と自然という対比があったように思ったんです。それこそ「グランピング」というもの自体がそれを象徴しているようにも思いますが、先ほど話した自然の中にいる地元住民のことばと、都市である東京を拠点にしている人たちのことばは違う重さで響くというか。芸能事務所の人たちのことば、あるいはコンサルの人のことばは、ロジックを積み上げて、取り扱える範囲のことだけを扱っているという印象をもちました。でも、都市のことばはよくなくて、自然のことばがいいという単純な対比ではないような気がして。都市と自然や、言語化の不完性をめぐる監督の考えがあったら聞いてみたいなと。
濱口 最初に小川さんに言っていただきましたけど、実際、ことばをたくさん使う映画を撮ってきてはいるものの、ことばで言えていることは、そんなに大したことではないという認識でもいるんですよね。ことばにならないことのほうが、たぶん、多くの人や、人と人との関係の核心なのだという前提でやっています。言語化できるものはごく一部分なんですけど、そういうことばであたかも世界を把握できるかのように取り回している人はいますよね。この映画のなかだと、東京にいるコンサルタントの人(笑)。しかも、身体がその場にないオンライン会議で登場するという。
小川 ああいう人、いる! 知ってる!とすごく思いましたけど。
清田 ことばの全てが箇条書きのようなロジックで成り立っているというか……。ああやって映画の登場人物として見るとおかしみを感じられたりもしますが、もし実際に仕事などで対峙したら、たぶんその揺るぎなさやスピード感に飲まれてしまいそうかもなって。
濱口 だから、今回、自然と都市という対比を考えるというよりは、実際に都市から自然に移動して、リサーチをしているという状況があったので、自分自身、非常にどっちつかずだったことがそのまま反映されていると思います。
小川 本当に、どちらの気持ちもわかるけど……という、間にいる感覚ですね。
濱口 地元の方に教えてもらいながら、自然のことを少しずつ知って、映画のなかに取り入れようとしている。それで、そのときに、やっぱりことばにならないものが、大量に積み重なっていくんですよね。自然のなかで暮らす方々のことばには当然感銘を受けるけれども、自分たちが普段している生活は一方であって、それを一朝一夕にやめられるわけでもないし。自分にとっての映画のあり方は、そういうすごく居心地の悪い身体の状態みたいなものを、何とかあの手この手で映画にしようとするということなんだと思うんですよね。
清田 確かにそうですね。何かを考えようとすれば、葛藤とか矛盾とか、割り切れなさとかまとまらなさとか、そういうものって常になくならないし、積み重なってもいく。それらを整理したり切り捨てたりしちゃいたい欲望との戦いって、とても切実なテーマだなって思いました。
濱口 だから、実際、都市と自然が対比されて見えると思うんですが、そんなに明瞭なものではなくて。前半は自然中心で、中盤ぐらいに都市の論理みたいなものが出てきますけど、最終盤でその二つが対決するというよりは、本当にぐちゃぐちゃになっていく。
小川 曖昧になっていったのは、濱口さんの体験でもあったんですね。
濱口 そういうものが、たぶん、自分自身の身体の感覚にそった映画のあり方というか。そういうふうにやると、結果として、さっきお二人が「ズーン!」とか、ことばにならないような感じと表現してくれましたが、そういうものが最終的に残るのかなと。そうなったらすごくよいなと思いながらやってました。
小川 個人的に、自然と都市という大きな対比と捉えたというよりは、むしろ、行き来する、森、家、事務所、車とかの空間によって、会話、親密さ、体感が変わったり、似通ったりしてくるんだなということを改めて実感しました。
濱口 まあ、そうだと思います。いわゆる地方の生活も、最近は相当に都市化されているとも感じます。全員が当然、スマートフォンを使ってますし、薪割りも斧でやる人は最近少なくて、電動の機械でやっている人が多い。地方に暮らしている人が、都市の人を完全に遠ざけてるかというとそうではないんですよね。説明会の場面であったように、「本当にちゃんと考えてるならいいですよ」という融和的なスタンスが実際にはあって。全体として、そこまで明確にラインを引けないな、という印象がありました。
清田 本質的に、グランピングを町にもってくることと、その町に移住してきた人たちが、そこまで違う行為はしていないと感じさせるものもありましたよね。
濱口 そうですね。それも、現実にも似たようなできごとがあって、そこで言われていたことなんですよね。似たようなやり取りはその場に存在していたので。
小川 まだまだおしゃべりし足りないところですが、後半は、濱口さんにタイトル付けのときの意識やプロモーションの際のことばなどについてお話をお伺いできたらと思います。
長野県水挽町は東京から近く、移住者の増加で開発が進んでいる。巧と娘の花は、この自然豊かな高原の町で代々慎ましく暮らしている。そんななか、コロナ禍のあおりを受けた芸能事務所が政府の補助金を得て、グランピング場の開発を進めるのだが……。4月26日(金)より、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、K2ほか全国公開
監督・脚本/濱口竜介 音楽/石橋英子 出演/ 大美賀均、西川玲ほか
https://aku.incline.life/
映画監督。2008年、東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作『PASSION』が国内外の映画祭で高い評価を得る。その後も317分の長編映画『ハッピーアワー』(15)が多くの国際映画祭で主要賞を受賞、『偶然と想像』(21)でベルリン国際映画祭銀熊賞(審査員グランプリ)、『ドライブ・マイ・カー』(21)で第74回カンヌ国際映画祭脚本賞など4冠、第94回アカデミー賞国際長編映画賞を受賞。地域やジャンルをまたいだ精力的な活動を続けている。『悪は存在しない』(24)で第80回ベネチア国際映画祭銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞。